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2010年3月 9日 (火)

スピリチュアルに生きる(29)--(28)の続き

旅行に行くときに一番嬉しいのは、旅行の行き先に立った時や、計画をたてる時なのは経験されていると思います。
自分の欲しかったもの--新しいケータイでも車でも、本でも、自分の好きなものを考えてみてください。
その新しいケータイやら車をゲットしたら、それが当たり前になってしまって喜びは先細りではないですか?

「あなたに3日後に一番好きなものをご馳走しましょう。」
ステーキでも特上寿司でもあなたが好きなものを想像してください。
その3日間は実際に食べるのと同じくらいに楽しみなのではありませんか?

さて、せっかく奢ってくれる相手が当日都合が悪くなりました。でもその3日間、楽しめましたよね?
そんな悪い例ばかり掲げません。実際に豪華なステーキを奢ってくれたとしましょう。
一口目、「美味し~い\(^o^)/」
まあ、3口目まで継続するでしょう。あとは当たり前になって、食べ終わる頃には「またいつか食べたい」の満足感ともう終わったのか、という寂しさで終わるのではないでしょうか?
先ほど例に掲げたケータイや車も同じかも。
一番嬉しいのは買った瞬間、というよりその前の検討している間かも知れません。

ここで言わんとするところは
喜びは物質や行為そのものでなくて「それを考えているところに存在する」ということです。

思考は現実そのものではありません。
(同じ建物を見ても、建築家は構造を見ます。庭師は庭の出来具合を見ます。装飾師は壁紙などを見ます。みな、違うものを見て、その建築が良いか悪いか判断(思考)するのです。
アインシュタインが登場するまで質量とエネルギーは異なるものでした。
30年前までポケットに入れて持ち歩ける電話などというものはSFの世界でした。)

恐れや不安も同じ。生じる可能性がごくわずかでも、まだ現実となっていないことに、あれこれ心配をめぐらすわけです。

つまり、あなたを一喜一憂させるものは”状況”や”現実”ではなくて、思い込みや解釈なのです。
とすれば、あなたの思いを現実に支配されることなく、現実への反応を自由に限りなくポジティブに変えることができるのではありませんか?

心の平安を外部に求めても極めて不安定です。
例えば・・・
「愛を求める」というのは「自分はまだ愛に満たされていない」と認めていることです。
でも本当に愛されていれば「愛を求める」ことはありません。
そして本当に愛されていなくても「愛している」と言われたのが本当だと信じることができるなら幸せです。

「欲しいものを探す」というのも同じです。探すという行為は「自分はまだ○×を持っていない」ということを認めていることです。
満たされていない、という波動を発信しているのです。逆説的ですが、求め続ける限り、満たされないのです。

--続く

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