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2010年3月10日 (水)

スピリチュアルに生きる(31)--(30)の続き

演習1
部屋にあるものに名前をつけて下さい。
パソコンに「パソコン」って名前をつけても意味ありません。
エアコンに「A子さん」とか、鉛筆に「ブラームス君」とか
イチゴに「じゃがいも」とか、辞書に「#999号」などと名前をつけるのです。

さて、10こほどのものに名前をつけて、もう一度名前をつける前と比較してみましょう。
何か、感覚の違いが感じられましたか?

演習2
次に、”物”ではなくて、自分自身の性格や特徴で好きでない部分1つに名前をつけてみてください。
何か、感じられましたか?

演習3
10秒ほど、じっと流れる”時間”を感じてください。
それに名前をつけて下さい。
さて、演習1でやったのと同様に自分とそれ(時間)の間に分離感が感じられましたか?

*以上の演習は前に書評で紹介したハリー・パルマー著「意図的に生きる」を参考にしています。残念ながら本に書いてあることはここまで。全部で15ほどの質問が用意されているようで、日本でもそのトレーナーが多く存在するようですが、とても高額。ハリー・パルマーに限らず日本でもそういう著書が結構あります。そういう意味では瞑想方法とか自分質問をする内容を全部明らかにして著書を僕は好きです。ですからあとは僕の解釈です。

演習1
演習2と3のための準備でした。

演習2
自分は”意識”そのもので、その名前をつけたものは”自分”ではないという感覚が得られれば幸いです。

演習3
さて、上記手順を踏まえると「時間」も含めて名前をつけられるものはすべて「自分」ではない、ということに気づくでしょう。
反対に、私たちが唯一名前をつけることができないもの=本当の自分ということも判ってきます。
つまり、私たちの意識そのものは時間を超越したところに(=今)ただ存在しているのです。

自分の欠点や時間にまで名前をつけられるとしたら、過去の悪い思い出や空間や病気はどうでしょう?やはり名前がつけられませんか?「私は貧乏だった」「わたしはいじめられていた」「私は鬱だ」

つまり名前をつけられるということは、名前をつけた本質のあなたが別に存在するのであって、あなた自身ではない、ということです。

===============
意識から既成概念を分離させたとき、私たちのものの見方は自由になれます。
意識という次元から、すべてのものを観察してみましょう。
例えば、もっとも身近な植物。「サクラ」とか「チューリップ」とかいうのは名称に過ぎません。
枝とか葉というのは物質的な一面に過ぎません。その背後に、「ただ存在している」植物の意識をみるのです。
植物でなくて、鉱物や金属ではどうでしょうか?

意識そのものには制限がありません。時間も空間も超えています。物質的な自分の肉体でさえ、名前がつけられます。客観的に自分を眺めることができるのです。

意識は宇宙そのものと繋がっていることが確認できましたか?

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