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2010年6月27日 (日)

スピリチュアルに生きる(68)

チャネリングで再確認できたこと(2)

以下は、みなさんに当てはまる話かどうか、僕にはわかりません。

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今でも覚えている。
僕が幼い頃、隣のおばさんにお菓子をもらった。
僕は、人見知りし、言葉少ない大人しい子どもだったので、そのまま受け取った。
側で見ていた母が言った。
「ありがとう、と言いなさい」
僕は「ありがとう」と言った。

おそらく、母にとっては「ありがとう」が、何かをもらったときの挨拶の言葉だったのだ。
幼い僕は、たぶんそのまま受け止めた。

大人になって、友達に何かもらったり、知り合いが何かしてくれた時に
「ありがとう」という言葉は自然に出てくるようになっていた。

今、わかること。
これまでは「反応」だった。
何かを得たり、何かをしてもらったりした際に、相手を満足させようという社交辞令。
「ありがとう」と言わねば、相手の機嫌を損ねるかも知れないという、心配。
お礼をせねば、次からは何もしてもらえない、という不安感。
つまり、「ありがとう」は自分を守るための言葉だったのだ。

もちろん、時々は、心から感謝しているようなことがあった。
その時でも、「ありがとう」という、相手を傷つけない・自分を守る「魔法の言葉」を使おうとしていた。

でも、今は違うよ。

生きていることに最初から感謝しているから、他に条件なんかない。
出来事に対する「反応」なんかじゃない。
今、好きな音楽CDが側にあって聞いている。
今、パソコンが目の前にあってこうしてタイプしている。
部屋の外に目を移せば「僕の世界」が広がっている。
それだけで感謝!

「反応」の世界に生きていると、期待&期待どおりにならなかったことの失望 が隣り合わせになっているんだ。
それを超えればいい。
僕の人生に登場してくれる人、すべてに感謝。
僕の宇宙での体験に、すべてありがとう。

(そして、ここのブログを読んでくれている方々、ありがとう。)

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