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2010年7月 5日 (月)

スピリチュアルに生きる(73)

さて、これまで書いてきたところで「私は幸せになってみせる」などという言い方は間違いだと気づくだろう。
「まだ幸せでない」ということを肯定していることになるから。(そのタイムラインを手放して既に幸せなラインに乗り換えるべし)

この場合の「幸せ」とは自分で決めたものだろうか?
おそらく、これまでの環境の中で、健康で、お金があり、素敵な人が側にいて、仕事がうまくいっている、という状態が「幸せ」と思い込んできた/そういう思考にされた、可能性もある。

ひょっとしたらこれは「幸福-不幸」という二元性があるからかも知れない。

それでは二元性をできるだけ離れてみよう。

ポジティブとネガティブ、それは私達がこの3次元世界で生きる基準として創り出したと仮定する。
プラスとマイナスがなければ電気が存在しないように、S極とN極がなければ磁石にならないように、一方の存在は、もう一方の対極を必要とする。

正と誤、これらはどうだろう?
政治的にも社会的・哲学的にも、ある主張は自分が正しく、対極の主張を間違いだとする。

1+1=10
これは二進法の条件下では正しい。

上と下、右と左、前と後ろ。これは?
私達は宇宙空間にいる。その意味では上と下がはっきりしない。
例えば世界地図。ヨーロッパの世界地図では日本が最も東に描かれていて「極東」となるのだが、オーストラリアの世界地図は上下が逆。
http://blog.goo.ne.jp/tecchan_july/e/252b8e7b896eab70e0a2c22d56e3849d
これだけでも概念が広がるかも知れない。あるいは日本地図も右に90度回転したらどうだろう?

右と左は難しい。どのように定義できるか?鏡の中の世界の相手にどのように説明すれば理解できるのだろう?
前とは自分が向いている方向?では意識が背後を見ていたら?

有限と無限。これはさらに難しい。
無限を、有限の世界で説明できるのだろうか?

これらの二元性(二極性)は、全部が観念であり、思考が創り出したものとして取り除いたらどうだろう?
最後に残るのは、自分自身ではないだろうか?

綺麗・そうでもない、好き・嫌い、などの価値判断を手放して花や野菜を見たらどうだろう?
本質はありのままの植物ではないだろうか?

同様に、善悪や正しい・間違いなど二元性の価値判断をせずに人を見たらどうだろう?
残るのは、ありのままのその人ではないだろうか?

ここにも人生のヒントがあるような気がする。

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