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2010年11月 5日 (金)

スピリチュアルに生きる(90)

私たちは世界中で自分を最も 大切に/特別に 思います。
自分のことを他の人よりも特別に大切だと思うから、懸命に幸福を「求める」のです。
自分はもっと幸福になってよい・もっとお金持ちになっても良いはずだ、と。
そんな期待を手放したらどうなるでしょう?
自分は平凡で平均的な人間だから、今の生活で充分、これ以上は望まない、と。
これは、諦めるのとは全く異なります。
「一瞬で幸せになる」著者の阿部敏郎氏の言い方からすれば「今の状態で100%幸せ」ということになります。
それなのに、今の幸せに目を向けずに、「もっとお金が手に入れば」「もっと良い仕事に就ければ」などと幸せに条件を作ってしまっているのです。

こう思ってみてはいかがでしょう?
「この世に偶然はなく、すべては完璧なタイミングで起こっている。今のままの自分で完璧。
お金がなくても、トラブルに巻き込まれても、失恋しても、失業中でも、完璧。何も変える必要なし!」

これで少しは気が楽になりませんか?
完璧なのですから何も変える必要はないのです。
何かを変えなければ、と思うから苦労するのです。
どんな出来事が起こっても完璧だ、と思えば肯定的に見ることができます。

「こんな悪い現実を完璧だと思えるか!」という声が聞こえてきそうです。

幼い子どもが道で転んだり、せっかく積んだ積み木を崩してもあなたは「良い/悪い」と判断しませんよね?
そのために泣いたら黙って抱きしめてあげられます。
宇宙の中の私たちも同じ。大宇宙に見守られ/抱きしめられている のではないでしょうか?

「良い出来事」「悪い出来事」というのはこの物質世界の二元性に過ぎません。
そんな”判断”は必要ないのです。
(「良い/悪い」という判断をしてしまうと、その出来事はそのとおりの結果を招いてくれます)
すべての出来事はあなたの波動に反応して「ただ起こって」います。
それを「良い/悪い」という視点で見るのと、完璧に自分の心が映し出されていると思うのとどちらが自分の幸福に役立ちますか?
宇宙の本質は二元性を超えた”ワンネス”(すべては一つ。すべてが自分)です。
出来事に「良/悪」「正/誤」を判断をするのと、「すべての出来事は完璧」だと感謝しながら受け取るのと、どちらが幸せでしょうか?

これが宇宙の法則です。
「今の状態で100%幸せだ」と思えれば、そういう現実が引き寄せられるのです。
未来に視点を向けて「幸せは未来にしかない」と思えば、「今が幸せ」という状態は永遠に来ない、ということです。
幸せを探しているとすれば、今・ここには幸せはない、と考えていることになります。
例えば、お金がもっと手に入れば幸せになれる、と思っている人はお金が手に入っても幸せにはなれません。
幸せがある条件によって満たされる、という考え方を手放していないので、お金が手に入ってもまた条件をつけるからです。
幸せから条件をはずせば、「今・ここ」で幸せになれるのです。

お金がなくても幸せになって良いのではありませんか?

あるいは、未来に視点を当てて不安や心配を感じる場合もあります。
心配すれば心配する出来事から回避されるわけではありません。むしろそういう波動が心配事を引き寄せてしまう可能性が高くなる。
ですから「心配しても心配しなくても事は起こる」のだから、何が起きようと100%幸せと受け止めよう、と決心するのです。
悲しみや憎しみを拒否すれば、その裏返しである--どちらも感情の側面ですから--喜びや楽しみも拒否したことになります。
どんな感情が起こっても、判断せずに黙って受け止める。
「あるがままでOK」と、今の状態以上を求める自分を手放すのです。
(この場合、手放せるのは「エゴ」の部分だけであって、私たちの本質は宇宙そのものですから手放せません。
エゴを手放したら宇宙そのものになるのではないでしょうか?)

コンプレックスがあって(文末参照)、平均的な・特にとりたてて優れたところもない、欠点だらけの自分。68億人の中の1人に過ぎないけれど生かされている。
生まれてから、自分の意思と関係なく、心臓は休みなく動き、死ぬまでずっと動き続ける。
こんな平凡な自分が今日まで宇宙から生かされている、と自然に100%幸せと感謝の気持ちが沸いてくるのです。
すると感謝する出来事が続きます。

とは言うものの・・・
自分に嘘をつかない、というより自分にはウソをつけません。
完璧だと思っていないのに完璧だ、という言葉をいくら発してもそういう波動にはなりません。
好きでもないのに「この仕事が好きだ」と自分を騙して我慢していると、体調が悪くなったり、仕事がうまくいかなくなったりします。

そういう場合には、上記の「完璧な状況」を「自分の豊かさや健康や人間関係にとって完璧」ではなく、自分の思考を映し出す鏡としての世界が完璧だ、とするといかがでしょう?
この宇宙は完璧に私たちの心を映し出してくれています。
あまり楽しくない出来事でも、「だから波動を変えるべきなのですよ」というシグナルとして受け取る。
心の持ち方をただ変えれば状況が変わる、というのは何と幸せなことでしょう。

「コンプレックス」という例を挙げましたが、そう思っているのはあなただけです。
「いや、昔、**さんに言われた」という覚えがある?
それを肯定するも否定するもあなた次第。
その言葉を受け入れてしまって、未だにそう思い込んでいるのは、他の人の価値観が自分に入るのを許してしまったからに他なりません。
そもそもそういう価値判断は幸福になるのに何ら必要ない、というのが今回述べているところです。

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