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2010年11月 6日 (土)

スピリチュアルに生きる(91)

今、目の前にあるパソコンやこの文章は「幻想」かも知れません。
現実という夢の中で見ているのかも?

例えばあなたの目の前にパソコンがあります。
「私のパソコン」
あなたは部屋の中にいます。
「私の部屋」
書籍が目に入ります。
「私の本」

あなたはパソコンではないし、部屋ではないし、本でもありませんね?(当たり前ですよね?)

では次です。
「私の手」
「私の頭」
あなたは手や頭ではありませんね?
「いや、自分の肉体の一部です」と言われそうです。
では「私の肉体」としましょう。
あなた=物資的肉体 ではありませんよね?
「いいえ、”私の考え”は違います」と反論したらもっと面白いことになりますが。(笑)

次はいかがでしょう?
「私の喜び」
「私の悲しみ」
これらは「私の感情」です。
あなたは「感情」ではありませんよね?
そもそも感情は過去の経験から来るものです。
よく考えてみれば「嬉しい」「悲しい」などは過去に同じようなことがあったから、ということはお判りですね?
同様に思考や理性も過去に基くものです。

色々な言葉がありますが、すべて「私の~」ということで、それが指しているものを客観的に意識する「私」が別にあることにお気づきでしょうか?
この”私”とは?

「私の過去」・・・これも”私”ではない。時間のことでしょうか?
「私の希望/夢」・・・これも違いそうです。なぜなら「私の欲望」「私の心配」と同じようなレベルですから。

こうしてみると「私の**」という**は私自身でない、ということを証明している言葉のようです。
自分そのものではないもの(エゴと呼ばれている)を一つずつ取り除いていった最後に残るものが本当の「私」ということになりそうです。
「私の記憶」「私の性格」「私の歴史」「私の時間」「私の心」「私の経験」そして「私の人生」でさえ・・・
これらは全部「私」ではない、エゴの部分ということになります。

要するに、「私」は、相手の言動に逐一反応する感情ではないし、3次元世界での苦悩を経験する肉体でもない。
過去の悲しい記憶の産物でもないし、ネガティブな思考でもない。
私は単に行動するだけの3次元的肉体でもないし、心配ばかりしている存在でもない。
本当の私は、それらのエゴを全部消し去って残るもの。

最後に残った”私”というのは何でしょう?
「感情」や「思考」のように変化することなく、それを「自分の**」として、より上の次元から観察する存在です。
完全に自分(エゴ)を手放したら、後に残るのは?

それが本当の「私」。記憶や経験を観察している「私」が存在しています。
それは単なる”気づき”のようにも思えますし、魂や意識のようでもあります。
マスターによればそれは「愛そのもの」。

愛以外は幻想とACIMには書いてあります。
愛の中で私たちは自由に幻想を見ているのかも知れません。

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