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2010年11月 8日 (月)

スピリチュアルに生きる(93)--(90)の続き

スピリチュアルに生きる(90)で感情や肉体や理性は自分ではない、と説明しました。
それらを観察するものが私たち。
”私たちの本質”の上に感情や考えや信念は築かれてきました。
例えれば、家のようなもの。
土地の上に、窓や柱や壁で構築されている家があるように、私たちの本質の上に感情や肉体が存在する。

悩みというのもそうかも知れません。

悩みにしがみついている必要はない、としたら?
悩みは本当に解決すべきものでしょうか?
あるいは解決しなくても良いのでは?
単に手放す、という選択肢はありませんか?

問題の解決法として私たちは「良い結果」を出すようにしています。
問題そのものを取り除く解決法だってあるのではないでしょうか?

例えば、「私は悲しい」でなくて私の感情が悲しみを味わっている、とします。
悲しみの波動に自分を浸らせるのでなく、距離をおいてじっと観察すれば、悲しみは既に自分のものではなくなっています。
”悩み”も同様。
私は悩んでいる、でなくて、本当の私でなく、”私の考え”の部分が悩んでいる、と”本当の私”が観察するのです。

さらにもう一歩、観察している私を観察する、というのが高次の自分へのアプローチかも知れません。

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