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2010年12月 7日 (火)

ACIM(3)

今回までで、とりあえず前半をざっと読んだ。

前回、こう書いた。
>「そうは言っても、美味しいものをもっと食べたいし、お金もたくさん欲しいよね。」

神に身をささげるとは?という不安を感じていたら、ずばり、こう書いてあった。
「あなたは精霊に導きを求めることは窮乏を求めることだと信じています。・・・あなたは取ることによって得ることができると信じているからです。・・・神から発するいかなるものも「神の子」を奴隷にすることはありません」p285

「復活は既に達成されています」P279

「精霊がかくも深い喜びをもってあなたに差し出してくれる神の贈り物から逃げようとしないで下さい」P376

第15章「神聖な瞬間」を読んでいたら、ちょっと前に読んだ覚醒関係の本と似ていた。
これは覚醒のことを言っているのか・・・と思った瞬間、
「この神聖な瞬間はあなたにはまだ起こっていません」P416
と書かれていた。ウーム。

まあ、これまで読んだところ、エゴを放棄し、真実の自分に戻ることは、自分を犠牲にすることでないし、楽しみを諦めることでもなさそう、という感じ。
エゴがいかに我々を騙したり、幸せにしないか、は繰り返し説明されている。

ともあれ、超要約するとこういうことだ。
「神が神の子(我々)を創造し、神の子に自分と同じ創造力を与えた。
エゴは神が創造したものでなくて、我々が創造したもの。
「精霊(holy spirit)」が我々の味方。
エゴには何もできない。
人生のいろいろなことはコントロールできない。
コントロールを手放して、精霊に委ねてみよう。
精霊に頼めばメッセージを送ってくれる。
奇跡は我々が起こすのではないから、奇跡を期待するなら、いつもあなたを見守っている精霊に頼むこと。
(同じ意味では精霊という訳でなくて「天使」の方が僕はすっきりくるのですが)」

また、過去と未来は連続している、というのは間違い。それはエゴの仕業であって、現在にのみ意識を向けなさい、とある。(ほかの本でも同じようなことが書かれているけど)

時間については下記のようなところでしょうか?

今日から明日へと移る午前0時ちょうど。
そこは今日でも明日でもない不思議な一瞬です。

さて、私たちは現在を中心に生まれてからこれまでの過去、そしてあの世に戻るまでの未来を考えています。
さらに過去世や未来世にも考えを広げているかも知れません。
「今」というのはさきほどの午前0時のようにほんの一瞬であり、
長い過去と未来に挟まれていると考えます。

つまり永遠の先にあるような過去と未来が現在を見えにくくしているのです。

ACIMは「過去も未来もない。永遠の今があるだけ」と言います。
過去と未来という概念を取り払って「今この瞬間」に真実が見えそうです。

自分は「永遠の今(言葉そのものが矛盾していますが)にいて、経験が向こうからやってくるだけ」かも知れません。
3次元世界の経験そのものが幻想なのかも知れませんが。

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超要約(2)

神の愛だけが実在します。
神は無限に「神の子」を愛するので、行動や思考の制限をしません。
「神の子」は神の愛の中で生きているのです。
だからすべては愛。

====
という感じで「人生のマニュアル」でも「悟りの秘訣」でもなく本当に「テキスト(=教科書)」なのです。

日本でのACIM学習会を検索すればたくさん出てきます。(これまで英語版だけだったのに!)
全世界(19ヶ国語に翻訳されているそうな)で、スピリチュアル系では№1の回数で学習会が持たれていることでしょう。

ちょっと前に紹介した「終わりなき愛」は読んでいて心が安らぐものがありました。
(両方の翻訳者の大内さんは同じイエスの波動を感じると言っていますが)
でもこのACIMは・・・
何というか、この「教え」から逃げることを許されない感じ。

啓示を受けたヘレン・シャックマンは「声を聞いた」というだけで、イエスの声とは言っていません。たぶんイエスだろう、としか。

癒しの波動がイマイチ伝わらない読書です。

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