« 書評--ベントフ氏の超意識の物理学入門 | トップページ | ACIM(3) »

2010年12月 6日 (月)

ACIM(2)

ACIMは文章ごとに番号が振ってある。
聖書と同じような扱いである。

今回、5章まで読んだ。(理解したとは言いがたい)

このあたりまでのキーワードは「あがない」Atonement
もとの意味は「買い取る」「身受けする」という意味らしいが、それだけでは通じない。
この「あがない」は巻末でも訳者の単語解説がなされているが、文脈の中で解釈すべし、とある。

僕はこれを--今のところ--「エゴを放棄して神の元に戻る」と解釈した。

第4章のエゴの説明は納得いった。
(この「エゴ」というのも単に「自我」と訳せるような簡単なものではなさそう)
エゴは”怖れ”からできたものなので(神が創ったのではない)満足することがない。
なのにどうして私たちはエゴを満足させようとしてしまうのだろう?
実は私たちの喜びを制限するものはエゴだったのかも知れない。
エゴにしがみついていることで、神の祝福を遮っていた。
エゴを選択するか神を選択するか、は私たちの自由意志に任されている。

「そうは言っても、美味しいものをもっと食べたいし、お金もたくさん欲しいよね。」
と思いながら読んでいたら、その喜びを神は無限に与えているのに、有限な喜びにしがみついていてどうするの?という感じの文章が出てくる。
物質界の喜びは有限。神の領域の喜びは無限。
ただ、僕たちは今を手放したら何もなくなる、と思って不安を感じている。
これまで培ってきた理性・概念・観念・経験など、全部手放すことを怖れる。
そうしたら自分が自分でなくなってしまうもの。
というのは「自分がエゴでなくなる」ということかも。
それがエゴがしかけた罠?

(以下、ACIMに書いてあったことではありません)
至福体験(覚醒体験・神秘体験)をするには、方法が2つあって、ひとつは自分を全部手放す(すなわち「あがなう」)のだそうです。
自分のすべてを神に委ねる。
そういうことで、絶望のどん底にあり、人生を全部捨てた人はそういう体験をしやすい。

もう一つはA・マズロー(だったか?)とにかく心理学者が、例えば鉛筆の先にずっと意識を持っていって、さっとそこから意識を外す、そうです。

後者は実験できますが、(やってみたけどできなかった(^^;--2,3度では無理でしょうネ)
前者はやはり怖いです。
自分のすべてを神に「あがなう」。
これはおそらく”本気”の決意が要ります。
「私のすべてを神に委ねます」
そこに”絶対の至福”があるようなのですが、僕は今のところ、その崖から飛び降りられないでいる。
おそらく崖から突き落とされれば、「飛べる」までは創造がつくのですが。

===
さて、スピリチュアル的にかなり高度な上、¥5775もするので購入するかどうか難しいところでしょう。
そこでネット検索しました。
これまで日本語に訳されていなかったので、様々な方が訳しているようです。
例えば以下のサイトで日本語解説?が途中まで読めます。
http://acimworkshop.blogspot.com/

それと、ACIMの「テキスト」はあるのだけど、「ワークブック」は?と検索したら
下記のサイトに1/3程度ですが(本当は365章--1日1つずつの課題。急ぐのは許されない)日本語訳がありました。
http://www.crsny.org/drupal/ja/healing/ACIM/workbook

「ここにカップが一つある。このカップには何の意味もない。」
って、こんな文章が続きます。
要するに、この物質世界には何の意味もないのでした。(このあたりは仏教の本を読んでいても同じような感覚です。「諸行無常」)
だから、意味ある世界に戻ろう!って言われてもな~。

仏教の教えは「この世界は移ろいやすいもの。すべては変わる。そこに絶対的な幸福はありえない。だから解脱じゃ~」
という感じだと思います。
要するに、「物質界で幸福を求めても最後は何もないよ。虚しい結末を求めてどうするの?執着を捨てなさい。欲望があって期待するから悩みが迷いが生じる。最初から欲望を捨て、期待しなければ良いのだ」みたいな感じで、喜びも楽しみも諦めろ、と言われているような・・・

え~? 喜びとか楽しみを求めてはいけないの?
で、なぜかACIMも同じ雰囲気で読んでいます。

著者のヘレン・シャックマン(編者は異なる)は「これはイエス・キリストのチャネリングに違いない。」
みたいなことを言っていますが、これまで読んだところ、「私はイェシュア」とか「イエスである」とか一言も言っていません。
聖書を引用した箇所で「私が**と言ったのは・・・」と書いてあるだけです。

「愛への帰還」(奇跡のコース解説書)マリアン・ウィリアムソン著
これが10数年前に発売され(僕も読みました)読者数が伸びたそうな。

そして某サイトの感想だと「ACIMの学習が苦しいので『神の使者』(前に紹介しました。これもACIMの解説)に逃げ込んでいる人がいる」
って、喜びを得るのに苦しい思いをする???

ACIMの最初に「これは必修のコースです。あなたに任されているのは、コースを受ける時をいつにするかだけです。」序文より
という書き方は新しい宗教?

この疑問は前にもこのブログで書きました。↓このあたり
http://hass.cocolog-nifty.com/blog/2010/04/post-8a01.html
喜びに満ちた人生を送るのに、苦しい学習というのは矛盾です。
奥様が高次の世界から教わったことによれば「イエスはとても高い次元に行ったので、もうこの物質界とチャネリングのようなアクセスはしない」ということらしいです。

同じ、イエスのチャネリングと言われている、ちょっと前に紹介した「終わりなき愛」は読んでいて楽しいのですが。

===

ということで、僕はACIMの信奉者ではありません。
スピリチュアルな世界ではACIMは必読書のようなので読んでいますが、これまでの段階ですと??です。
もうちょっと先を読めば新しい気づきがあるかも知れません。また報告します。

« 書評--ベントフ氏の超意識の物理学入門 | トップページ | ACIM(3) »

書評」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/523730/50231059

この記事へのトラックバック一覧です: ACIM(2):

« 書評--ベントフ氏の超意識の物理学入門 | トップページ | ACIM(3) »