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2011年7月 7日 (木)

スピリチュアルに生きる(116)

コップに水が半分入っている。
「まだ半分ある」「もう半分しかない」
これがポジティブ思考とネガティブ思考の違いだと言われています。
しかし、究極のポジティブは「水があるだけありがたい」でしょう。
(他にも「自分がコップを満たしてみせる」というのもありそうです)

この話がいろいろな本に出てきますが、著者たちはもっと深いことを言いたかったのでは?と気づきました。
自分の生活の幸福な部分と幸福でない部分。
それぞれ何%ですか?
もっと細かく、
経済の部分は?人間関係の部分は?人生の達成度の部分は?などと分割できます。
で、どちらに目を向けていますか?

私たちは不平や不満のある部分を嘆きますが、そういう部分に視点を置いているからかも知れません。
50%幸せだったら充分。
そう思える人の方が50%の不満をいう人より幸せではないでしょうか?

病気の人からみれば健康なだけで充分幸せのはずです。

たとえば・・・・
全く同じような境遇だと思っていた友人や隣人。
それが何か手に入れます。
新車でも理想の結婚相手でも、例えは何でも良いのですが、
その友人や隣人が、自分に持っていないものを所有した瞬間、何故か不幸になった感覚がありますか?
自分は何も変わらないのに。

自分に意地悪なことを言う人がアクシデントやトラブルに見舞われたとき、
「ざまあ見ろ」「いい気味だ」と思ってしまうときがありますか?(昔の僕はそうだったかも)

で、このような気分になるのはどうして?

自分の幸福が安定していないのです。
他の方との比較で、あの人より幸せor不幸、と思ってしまうのです。
これって、自分の幸福が隣人や他人の境遇で左右されるということですよね?
何かが違います。
比べるから不幸になるのです。

さて、必要なのはそういう比較ではありません。
自分の状況は変わらないのに比較をして喜んだり、悲しんだりする、という感情はどこから?
もちろん、自分の中からです。
つまり喜びも悲しみも自分の中に既にあってそれが表現されているのです。
言い換えれば、すべての感情は自分の中に既にあるのです。
ですから、どんな出来事にもポジティブな反応を選択する機会があるのです。

先ほどの話で言えば、友人や隣人が新車を手に入れたとしましょう。
一緒に喜んであげることもできるのです。
新しい車に乗るって気持ちいいだろうな~、と想像しながら
「いつか自分も・・・」と自分の夢に目を向けるのです。
(似たような境遇の人が手に入れたのですから、自分にも手に入る可能性が高い、ということを証明してくれているのです。)
羨ましがるという背後には「自分には手に入りそうもない」という波動が隠れているから危ないのです。

逆に自分の嫌いな相手がトラブルに巻き込まれたとき、
「ざまあ見ろ」「いい気味だ」というのは最悪です。
そういう出来事を肯定する波動を発しているので、いつか自分に反ってくることもあるからです。
そういう意味では、その相手に手を貸せるなら貸してあげるべきなのです。
嫌いな相手と仲良くなるチャンスでもあります。

全てを愛する。
こうなれば最高ですね。

ここで半年前に紹介したセドナ・メソッドの創始者、レスターの話をもう一度紹介しておきます。
http://f33.aaa.livedoor.jp/~mindtech/index.php?''%A5%E1%A5%BD%A5%C3%A5%C9%C8%AF%B8%AB%A4%CB%BB%EA%A4%EB%BC%AB%B8%CA%C3%B5%B5%E1%A4%CE%CE%B9''

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