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2012年7月23日 (月)

スピリチュアルに生きる(120-2)

ふと考えてみた2(シリーズかっ!?)

料理のできない人が料理を評価するって、傲慢なのではないか?
スポーツのできない人がスポーツをみて講評するのも同じような?

では、人格高潔でない人が、他の人をあれこれ批判するのはどうだろう?
(人格高潔な人はそもそも人を批判したり悪口を言ったりしないと思うが)
人生を操れない人が人生についてコメントするのはどうだろう?

これらはいずれも尺度の問題かも知れない。
お金持ちで年に何回も海外旅行に行っているのに、現地の料理に不平不満の人と・・・
少ない給料から貯金して、3ヶ月に一度の旅行で鈍行列車で(東京から)熱海に行き、¥7800の熱海の宿に泊まって、「バイキングだから食べ放題だよ」と喜び、久々の海を見て「落ち着くね」と語り、伊豆山神社と大雄山を見て、「楽しかった」ね、と話しながら帰ってくる(実話か?)のとどちらが幸福だろう?

状況が変えられなくても尺度は変えられる。
人は変えられなくても自分は変えられる。

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