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2013年2月12日 (火)

書評--「いまここ」にさとりを選択する生きかた

「いまここ」にさとりを選択する生きかた―21世紀のさとり読本 (覚醒ブックス) 
やまがみ てるお (著)
¥1575 ナチュラルスピリット

--今年発売なので中古はない--

タイトルのとおり、さとり系。

悟るとどうなるか、が淡々と続く。
「たとえば・・」もないし、著者の体験談もない。
良く言えば文章にムダはない。
悪く言えば、文章としては平坦すぎて飽きるかも知れない。

一言でいえば、思考を観察している側が本当の自分である、ということ。

ワークがいくつか出てくるが、思考や感情を観察している”本当の自分”に気づきなさいということ。

しかし、これって
「リビング・デリバレイトリー―自分が決める人生の生き方」
ハリー・パルマー 著
中古:447円
(旧タイトル「意図的に生きる」・・・¥94)
の、「感情に名前をつけられるか?」という課題(第7章前半)のほうで試しているし、ワークとしては同著者の「リサフェーシング」の方がやりやすそう。
(すでにこのブログで紹介している)

ACIM(奇跡のコース)のように、自我を捨てなさい、と言っていない意味では、エックハルト・トール(さとりを開くと人生はシンプルで楽になる)やガンガジ(ポケットの中のダイヤモンド)と同じ路線なのだろうが、終わりの方になって引き寄せの法則が出てくるのが気になる。
ラマナ・マハルシは物質次元の欲望を満たそうとせずにずっと裸で過ごした--まあ、インドですから。ダスカロス(エソテリック・プラクティス)もみすぼらしいシャツの写真だ。

そういう意味では、最後の方で「引き寄せの法則」が出てくるのはどのようなわけだろう?
巻末の参考文献ではこのブログでも紹介している「リアリティ・トランサーフィン」がでてきたり、
「ミリオネア・マインド」
「ユダヤ人大富豪の教え」なんてのも含まれているのはどういうわけ?

自我=物質界での成功、と本当の自分=悟った自分 の両方が成立するのが宇宙?

著者のブログ(って一瞬しか開けないのですが・・・設定によっては開ける??)
http://oyamagamiteru.blog.fc2.com/

途中、アウストラル・ピテクスから始まる人類の歴史が紹介され、これが宇宙の流れ(P195)が紹介されていて、おそらくは、-- 一人一人は小さな存在だが、宇宙の一部として生きるのだから繋がっているという意味なのだろうが--ちょっとまえに紹介した

「ビジネスゲームから自由になる法」
ロバート・シャインフェルド (著),
や、アーノルド・パテント(すでにここで紹介済み)あたりはちょっと違う。

この世界は自分が監督・主演・脚本などすべてを自由にできる映画館であり、宇宙には自分ひとりしか存在しない、としている。

僕は、ちょっと前に、この「ビジネスゲームから自由になる」を読んで、数日間、感覚が変わった。
この世界はゲームなのだ。
マージャンでも囲碁でも良いのですが、みんなが知っている将棋を例にしましょう。
将棋というゲームが人生そのものだとすると、人生に勝つのは名人しかいません。
将棋があたかも人生そのものだと思い込んで、王様を取るのに大変な努力をする。
あの角道を塞ぐにはどうしたら良いか、王様を守るために、矢倉をどう組みますか?

でもね、王様を取る、って将棋というゲームをやっていなければ、立ち上がって、ヒョィと駒を持ち上げれば良いのですよね?

ゲームだということに気づかなければ一生苦労する。
この世界が「マネーゲーム」(シャインフェルド著)ならば、いくら頑張っても、年金や税金に苦労するだけ。そんなゲームがいやならゲームを継続する必要はないよ、ということ。

本に紹介されているように人類は350万年前のアウストラル・ピテクスから進化してきたのか?
実は、猿から人類に進化する途中経過は発見されていないそうです。(ダーウィンのはあくまで進化「論」ですから)
それは、そうです。僕は、プレアデスとか、シリウスから転生してきたと思っているから。

「リ・メンバー」(スティーヴ・ロウザー著)に書かれているように、”壮大なかくれんぼゲーム”をやっていたのに気づきました。
何の制限もなしに、思ったことが即時に実現する存在は、制限のある世界を体験したいと思いました。
だから物質という世界に下りてきたのです。

しかし、途中に、本来の自分に気づくようにクリスタルを置いておきました。
これが「リ・メンバー」や「・・・から自由になる」という本。

”壮大なかくれんぼゲーム”というのは自分の生きている物質世界が本物だ、と思わせることです。
そこで、「物質は存在している」という概念を作り出しました。(本当は幻想です)

自分がいなければ”この世”は存在しません。
自分が消滅したときに”この世”も消滅します。
なぜなら、”この世”は幻想だから。

しかし、早く気づいてはゲームがなりたたないので、ゲームだと気づかないように、様々な仕掛けを作りました。
人類の歴史が350万年?
それを気づかないように歴史年表まで作ったのは自分でした。
そういう意味ではアリストテレスもダーウィンもニュートンもアインシュタインもマルクスも存在しません。
幻想の中で生きるには必要だったから、そういう「歴史」を構築して、この物質界に降りてきたのです。

話を変えましょう。
職場で嫌いな人がいるって?
それは自分で創造したのです。
自分だけの世界なのですから、自分の世界に現れてくる人は自分で創造しているのです。
「自分の生きる世界には嫌いな人も存在する」って。

ゲームに入る前なら見抜けたのですが、がんじがらめなので見抜けないのです。

・・・と、ここまでは理論的には解ったのですが、裏づけというか、確信がないです。
なので、これからも勉強を続けます。

話を戻して、
タイトルの本はいい線を行っていると思います。
でも、途中で紹介した、「リ・メンバー」とか「ビジネス・ゲームから脱出する」にはかなわない。

そういう意味で

お勧め度★★★★☆

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コメント

はじめまして。

ご本の紹介ありがとうございます。

分かりやすく、的確だと思います。

下でご紹介の本を読んでみようと思います。

どうもありがとうございました。

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