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2013年5月

2013年5月30日 (木)

書評--”それ”は在る(2)

結局、500ページを一気に読んでしまった。

対話形式だが、物語の要素も若干含まれ、”師”と”弟子”の会話により学びが徐々に深まっていくので、飽きることはない。

あとがきによれば
サン・ジェヌマン
イェシュア(イエス)
メルキゼデク
OSHO
ラマナ・マハルシ
たちによってこの本が成立した、という。

そういう意味では、これらはそれらの覚醒した人々の教えを、非常にうまくまとめたものといえるだろう。

これは「上級者向け」と書かれている。しかし、悟りに興味があり、最初の数十ページを読めれば、最後まで読めるでしょう。
(そうでない方はもっと入門書から。たとえば前にここで紹介した「悟り系でいこう」とか「気づきの扉」あたりか?)

「”私”は思考でも感情でも肉体でもない。それらと同一視することは間違いだ。いや、正しい・間違っているという判断さえ意味がない。
”私”はただ「在る」ものであり、それ以外のものではない。
”私”を手放すときに世界が現れる(・・・ってこれは誰の言葉だっけ?)」

とまあ、こんな感じですが、この世界は幻想・自我の放棄という意味ではACIMより分りやすい。

出来事に偶然はない。---ということはこの本を読んだのも必然。
出来事はただ起きているだけ。それに意味はない。意味をつけるのは”私”だけ。

たぶん、この本を繰り返して読めば幻想の世界の仕組みが分る。
覚醒系の本では必読書でしょう。
(予言)これからこの本は相当に有名になるでしょう。

2013年5月29日 (水)

書評--“それ”は在る

“それ”は在る―ある御方と探求者の対話 (覚醒ブックス)
ヘルメス・J・シャンブ (著)
\2310 ナチュラルスピリット

今月、発売したばかりで、9人のレビュー(うち一人だけが★4、残りは★5、山川紘矢さんまでレビューで登場)で絶賛のこの本。
まだ、100ページほど読んだだけですが、なるほど、これまで読んだ悟り系の中でベストです。

語り口は一部、「神との対話」に似ている部分もありますが、「悟り」に関しては、もっとも分かりやすい。

なお、著者名は外国人のようですが、日本人。
別に意識してペンネームにしたのでなく、昔から、さまざまな人が言っていることの繰り返しだから、師匠たちの名前を使ったのだとか。

あとはamazonなどのレビューを参考にどうぞ。

お勧め度★★★★★(間違いなく★5つ)

また、この本での気づきがあれば、追加します。

2013年5月28日 (火)

スピリチュアルに生きる(141)

体の不自由な人を見ると気の毒に思う。

しかし、心の不自由な人はそうは思わず腹を立ててしまうのは何故だろう?

例えば感情の不自由な人、(つまり感情をコントロールできずに、八つ当たりしたり、我慢をしたりできない人)
も実は気の毒な人なのだ。そう思えば腹は立たない。

人生は映画にたとえられる。
私たちの本質は映画そのものでなくてスクリーン。

映画は3次元の動きを2次元に映し出すのだが、物質界は4次元の動きを3次元に映し出す。

私=肉体 ではない。
私は肉体を認識するもの。

私=感情 でもない。
感情を観察するもの

私=思考 でもない。
思考が生じる場を提供するかも知れないが。

そうしてみると、つまり私たちの本質は、3次元の出来事でなくて、3次元の出来事を映し出す「空」の方であろう。
(これは覚醒した人がみんな言っている)

時間と空間を映し出すスクリーンは「いま・ここ」。
永遠の「いま・ここ」は、時間がある次元を映し出す。(だからタイムトラベル映画ができるのだ)

・・・と思考で考えてもダメなんだよね。思考ではないのだから。

ともあれ・・・
どんな映画を映すかも自分しだい。
映画は悪役がいなければ刑事ものは成立しないし、敵がいなければアクション映画はできない。映画が終わればノーサイド。出演者に拍手を送る。
そういう意味では、映画を見る立場の私たちは、自由だし、至福の状態にある。

毎晩、眠る前に、自分にいやな思いをさせた人にこう礼を言うのが正しいかも。「私の今日の映画に悪役で出演してくれてありがとう。」

====お断り====
8月上旬の国家試験の勉強のため、当ブログの書き込みがペースダウンします。

書評--前世を知る旅

前世を知る旅
鈴木 真理 (著)
\1300 ハギジン出版

まもなく宇宙人がやってきます、なんて怪しげな本を出版している会社のもの。
最初は著者が鑑定した前世だが、そのうち、ヘミシンクとかインナーチャイルドという話題になってしまっている。

パワースポットまで登場する。
湘南平(高麗山)は、かなりのパワースポットらしい。
それと秋葉原にあると言われる金運神社。
混雑するといけないので名前を書かないとか。
そんなに売れる本ではないだろう。
名前くらい書いてくれよ、ということで調べてみたら、ここらしい。
http://www.tokyo-jinjacho.or.jp/syoukai/01_chiyoda/1010.html

もう一カ所、富士山二合目だとか。
これも名前を書いていないので調べた。
http://www.yamajinja.com/index.html#top
ちゃんと神社がHPでも宣伝しているのだから名前を書いてくれよ。

ということで、他に参考になることはあまりない、前世療法の初心者向けの本でした。

お薦め度★★☆☆☆

2013年5月24日 (金)

スピリチュアルに生きる(140)

選択肢がある幸せ

「今日の夕食は何にしようか?」
こう迷うって幸せなのである。
砂漠の遊牧民にはこういった選択肢はない。
ラクダの乳を飲み(時にはラクダの乳のバター)、わずかでもナツメヤシの実があるところへ移動していきていくのだ。
戦時中の日本にもなかった。
とにかく食べられるものなら何でも良かった。

経済的に食べ物が手に入らない状況ならどうする?
缶詰1つとご飯だけかも。
ネット環境にある人にはそれがわからないかも。

我が家は肉か魚かではなくて、半分以上の確率で食卓に両方並ぶ。
ビーフ・ストロガノフ(Saute de boeuf Stroganoff) と白身魚のワイン蒸し(Poisson au vin planc)が同時に並ぶ。
ホイコーロー(回鍋肉)とサバの味噌煮のこともある。
※ちなみに私が作る(笑)

何を言わんとしているか、というと、人生そのものが選択肢の連続なのである。
職場のAさんに「***」と言われた。
ネガティブに受け止めるかポジティブに受け止めるか。
それは選択肢なのである。
幸福な受け止め方も選べるし、限りなくネガティブな受け止め方もできる。

ついでに何を言わんとしているか、というと、料理を作れれば、いつでも自分で作って美味しいものを食べられるよ、ということ。それってとても幸せなことじゃない?
料理全くできない、からスタートして5年でスーパーのお惣菜よりは美味しいものが作れます。

2013年5月22日 (水)

書評--ソウル・オブ・マネー

人類最大の秘密の扉を開く ソウル・オブ・マネー 世界をまるっきり変えてしまう<<お金とあなたとの関係>
リン・トゥイスト (著), 牧野内 大史 (監修, 翻訳)
¥1890 ヒカルランド

良書。

お金の問題が主だが、読み方を変えれば私たちの生き方に対する示唆に富んでいる。
スピリチュアル系である人も、社会派の人も読める。

マリアン・ウィリアムソン(「愛への帰還」著者)
ディーパック・チョプラ
なども冒頭で推薦。

余計な僕の感想を書かずに、文章を紹介しておきます。

お薦め度★★★★☆(4以上)

書評の冒頭部
http://wiki.livedoor.jp/harunoriyukamu/d/%A5%EA%A5%F3%A1%A6%A5%C8%A5%A5%A5%A4%A5%B9%A5%C8%A1%D8%A5%BD%A5%A6%A5%EB%A1%A6%A5%AA%A5%D6%A1%A6%A5%DE%A5%CD%A1%BC%A1%D9%C6%FC%CB%DC%B8%EC%CC%F5
(リンクが長いのでリンク先の訳もはっておこう--もともとは全文がPDFで公開されていたらしい(英語)))
リン・トゥイストが Big Picture にお金にまつわる神話と嘘の数々を語る

英国ロンドン
2004年5月21日

お金は何千年ものあいだ誤解され貶められてきました。お金はおよそ三千五百年前に発明されました。ひとびとの集まりのなかでモノや資源(リソース)を円滑に分け合うためにです。これがそもそもの目的ですが、そこから逸れてしまいました。お金はいまや、たがいのモノや資源を分け合える道具としてよりも、むしろたがいを分け隔て威圧するものとして使われるようになりました。わたしたちはそれぞれ住む地域によって分断されています。それに富める者と貧しい者、先進国と途上国というような呼び名も使います。
わたしたちは、お金をひとつの手段とするよりも、お金を目的に、お金を目当てとするようになりました。お金を人命よりも大事にあつかい、自然界よりも大事なもの、そして神よりも大事なものとしてあつかっています。わたしたちはお金に対して、並外れて重大な意味をもたせているのです。ほんとうはお金にそれほどの意味はありません。お金は単に交換を仲立ちするものです。わたしたちが発明したものですが、わたしたちはお金に圧倒されています。たいていのひとは、お金のことで苦悩と悲痛を味わっています。これは、お金のために働かざるを得ないひとびとだけの話ではありません。たいへん裕福なひとびとであっても、自分の財産を失うかもしれない苦悩と恐怖に苛まされながら暮らしているのです。わたしたちは貧富の差にかかわらず、お金をめぐる大きな混乱のなかで、取り乱し、わけが分からなくなっています。というのも、わたしたちのお金とのつきあいかたが、まったく倫理に反した、不適切なものだからです。わたしたちは、お金をほかのなによりも大事なものとしてあつかっていますが、それが真実に反すると知っています。
わたしたちがお金について語る嘘の数々は、いくつかの無意識かつ未検証の信念を寄せ集めたものです。まったくのところ信念の集合体なんですね。あらゆるものごとに浸透しているこの信念構造を、「不足という嘘」とわたしは呼んでいます。この「不足という嘘」は、わたしたちが世界を見て・理解する方法まるごとそのものです。これは未検証かつ無意識の準拠枠なんですね。わたしたちがそれをとおして世界をのぞく眼鏡のような役割を果たしています。この「嘘」は「三つの有毒な神話」から成り立っていると、わたしは説明しています。

第一の神話は、「足りない」あるいは「行きわたるだけ充分にはない」というものです。わたしたちは実際にこういったことをよくよく考えた末に、「足りない」と判断しているのではありません。「足りない」という信念体系にもとづいて思考をめぐらすのです。時間が足りない、お金が足りない、愛が足りない、セックスが足りない、週末が足りない、平日が足りない、昼の時間が足りない、夜の時間が足りない、寝る時間が足りない。キリがありません! わたしたちは「足りない」という信念の海のなかで暮らしています。そして、日毎にこの思いを強めています。現代の消費文化において「足りない」という信念は、企業のPR活動、そして広告産業によって、さらに深く、強いものとなっていきます。じつに抜け目のない業界で、それはもう見事な仕事をしていますね! わたしたちは、なにがなんでも、既に持っているより多くのモノを手に入れなければならないと考えるよう、絶えず仕向けられています。もっとあれが必要、これも必要、もっと服が必要、もっと広い敷地が必要、もっともっと、なにもかもです。この絶えず押し寄せる荒々しいメッセージの洪水はわたしたちに侵入し、ついには自分自身にも物足りなさを覚えるようになります。そんなわけで、「不足という嘘」の第一の有毒な神話は、「あれが足りない、これも足りない、わたしたちは充分に持っていない。わたしは充分に持っていない」です。最終的にこの神話は精神に巣くい、ひとびとは「わたしには欠けているものがある」と思うようになります。わたしたちは「欠損の人間」とでもいうような生き方を始め、外界のモノを次々と手に入れようと必死になります。それというのも、わたしたちの内なる富に全く意識をむけることがないからです。知ることもなければ、関わりをもつこともありません。

第二の神話は、さきほど説明した「足りない」という神話から論理的に導かれます。「不足という嘘」の有毒の神話の第二は、すなわち「多いほどよい」です。あれもこれも、なにもかもです! わたしたちはみな、およそ実際に利用できる量より多くのモノを持っているのですから、この神話はまったく論理にかなっていません。このことをたいていのひとはうっすらと分かっています。そういうひとはわざわざ時間をさいて、不必要になったモノを集めて教会に持っていったり、ガレージセールを開いたり、あるいはフリーマーケットに足を運んだりします。そのいっぽうで、同じひとが、さらなる買い物をする時間を確保しようとたくらむのですから、まったくばかげています。たとえ大金持ちであろうと、貯金が無いひとであろうと、この「多いほどよい」という文化に捕われています。テレビのCM、映画、雑誌の記事、そして町の看板から発せられるメッセージは、わたしたちに「もっと多くのモノを手に入れなければ」と信じこませ、たえず憑きまといます。これが第二の有毒な神話です。

第三の神話は、「世の中そういうもの」です。この神話はもっとも致命的です。はじめの二つの神話を疑わずに受けいれるよう働きます。こうしてわたしたちは、「まだ足りない」「多いほどよい」そして「世の中そういうもの」と語りかける世界に住まわされるのです。これはわたしたちが生きていくうえで、とてつもない制約になっています。すなわち不足という制約ですね。ここから抜け出る道はほとんどありません。わたしたちが呼吸する空気、あるいは、泳ぎまわる水のようなものです。わたしたちはこの制約に、より大きな支配権を与え、より大きな意味を与えつづけています。そうすればするほど、わたしたちは苦しむことになります。ひとびとはつぎつぎと不必要なモノに溺れ、中毒症状を深めていきます。ひとびとは消費文化のなかでますます正気を失い、(責任ある主体である)市民であることを止めるのです。わたしたちは、いまや単なる消費者でしかありません。「もっともっと」と打ち鳴らされる太鼓の音にあわせて行進しているのです。こうして、さらなる負債、さらなる赤字へと、一歩一歩あゆみを進めて行くのです。世界中のひとびとが借金にむかっています。国家がかかえる負債、地方自治体がかかえる負債、学校制度がかかえる負債。わたしたちは「欠乏の現実」を生きています。そして、どういうわけかこの現実を受けいれ、まったく正当なものとしてきたのです。

わたしは、お金を水のようなものとして考えるのが好きです。この喩えをとおして、人生を、この世界を、異なったやりかたで見ることができます。あるいは、新しい目と耳で世界を体験すると言ってもいいですね。わたしたちは、さきほどの神話体系、「不足という嘘」を手放さなければなりません。わたしたちが暮らす現代の消費文化からすれば、じつに過激なやりかたで、この世界を見なおす必要があります。すなわち、人生の、生命の、驚くべき真実を知ること。その根源的な真実とは、実際には「足りている」あるいは「充分にある」ということです。世界中の誰もが、健康で、生産的な暮らしができるだけのものが充分にそろっているのです。この世界ではほとんど異端ともいえる発言ですね! しかし、わたしたちが本当は必要でないモノを次々と手に入れようとするのを止めて、わたしたちが持っているものに注意をはらい、その価値を新たに認めるとき、とてつもないエネルギーが解き放たれます。より多くを求めることを止めて、既に持っているものに意識をむけ、その価値を再認識するとき、それは拡大します。別な言いかたをすれば、「感謝の気持ちは、相手の尊さを高める」のです。
この認識とあいまって、お金についてまったく異なった理解を得ることができます。お金は、「足りない」という恐怖に駆られながら、あなた自身や家族のために必死になって手に入れ、貯めこむようなものではありません。「多いほどよい」あるいは「世の中そういうもの」そのどちらも真実ではありません。お金を、わたしたちの大切な共有地(コモンズ)の一部として理解するのです。お金は、わたしたちすべてに帰属する、すべてのひとの所有物です。あるいは、お金は、誰にも帰属しない、誰の所有物でもないとも言えます。それは水のようなものです。水はあらゆる命をとおして流れます。あらゆる暮らし、あらゆる生活をとおして流れます。ときに、ひとつの命のうちに流れこみ、命のそとに流れ出ます。わたしたちがどんなことをしようと、それはひとつの成りゆきです。お金が、賞賛や尊敬の気持ち、そして気高い誠実さに満ちた生き方をとおして流れるとき、お金はこの世界を養い、清め、救うことができます。同じように、水の流れは、ものごとを清め、洗い流し、育てる助けとなります。しかし、水の流れが堰きとめられ、溜めこまれると、水はしだいに淀み、水の持ち主を毒するようになります。お金も同じ働きをします。ひとがお金にしがみつき、とりわけ恐怖心から貯めこむと、お金はその持ち主にとって有毒なものとなります。この世界との触れあい、繋がりが失われます。ですから、世界との関わりあいを失わないように、つねに慎ましさを忘れず、あなた自身の本質に触れていることがとても大切です。
そんなわけで、わたしはお金を水のようなものとして理解するのが好きです。お金は、あらゆる暮らし、あらゆる生活をとおして流れます。あるひとにとっては大河の激流であり、あるひとにとってはほんのわずかな滴りです。しかし、お金がどこからあなたのもとへ流れこもうと、あるいは充分なお金を手にする特権に恵まれているのが誰であろうと、わたしたちひとりひとりの務めは、最も多くのひとびとにとって最も善いことを実現する場へと、お金を回し、送ることだとわたしは考えています。そのようなお金の使いかたの数々を、わたしたちはぜひとも探すべきです。どの企業が、生命に貢献する健全な方法でビジネスを行っているのかを、注意深く見抜く必要があります。お金を貯める方法にしても同じです。たとえば、数々の素晴らしいコミュニティ・トラスト(信託財団)からひとつ選んで、そこへわたしたちのお金を預けることができます。その財団のお金は、ホームレス、あるいは困窮しているひとびとに貸し付けを行うのに使われます。さらに、この世界に、社会に、じかに貢献できる方法の数々についても関心を高めていく必要があります。あなたが属する経済的階層がどこであろうと、フィランソロピー(社会貢献活動)を念頭においてほしいのです。フィランソロピーは、だれにとっても他人事ではありません。その意味するところは、人類への愛、未来のあらゆる世代にむけた愛、生きとし生けるものへの愛です。お金は、あらゆる暮らし、あらゆる生活をとおして流れます。そして、お金をうちからそとへ流すときには、あなたの最も気高いコミットメント(誓願)にかなうような使いかたを選んでほしいのです。低俗な不安や欲望に引きずられた使いかたではなく。
わたしたちのお金の使いかたは、より善い世界をつくるうえで重要な役割をはたすことができます。あなたの魂が憧れる、その想いに寄り添うかたちでお金を使うとき、あなたの暮らしはより豊かなものになります。それは、あなたが多くのお金を持っているからではありません。あなたのもとへ流れこんだお金が、あなたを養い、この世界を養うからです。繁栄と成就に至る道は、「もっと多く」を求めることでは決して辿りつけません。「もっと多く」を求める道は、つねに「足りない」という感覚をもたらします。ひとびとは「もっと多く」を欲しがる気持ちをますます強めることになります。真実の成就と繁栄へと至る道は、ほとんど知られていない、この「充分にある」という認識をとおります。わたしたちひとりひとりが、まさに必要なだけ持っていると知ること。過去も、未来も、つねにそうであると知ることです。わたしたちが既に持っているものに意識をむけて、その価値を新たに認めること。これこそが最も優れた道であり、この認識をとおして、わたしたちは、充足、成就、そして真実の繁栄が、いまここにあると気がつくのです。

本の中にあった詩の引用
http://www.ieji.org/archive/i-asked-god.html

で、この本とは関係ないが、その引用先にはよさそうな文章がいくつか紹介されている。http://www.ieji.org/archive/index.html

2013年5月21日 (火)

書評--未来の魔法のランプ

未来の魔法のランプ
池田 隆則 (著), 藤岡 敬三 (著)
\840 説話社

すぐに読めてしまえる、既にみんな知っている魔法のランプの話。
新しい知識はほとんどない。

でもなぜかほのぼの読める。

優しい気持ちになれる。

個人的にはお勧め度が高いです。

お勧め度★★★★☆

2013年5月14日 (火)

スピリチュアルに生きる(139)

キアヌ・リーブス主演「マトリックス」を見た。
(2回目。まだ1作目だが2~3作目も買ってきた--この評価があれば後ほど)
スピリチュアル系の複数が「マトリックスの映画は真実だ」と言うのですよね。
僕たちは物質界のマトリックス空間に「生きている」と思っているだけ。

○経験できるってすばらしい。
前にも書きましたが、僕はよくラーメンを食べに行きます。
「ここのラーメンは旨いとかまずいとか・・・」
でも、それってラーメンを食べにいける環境にあるのだからできるのですよね。
環境に感謝!
生きていることに感謝!
私たちは見える世界(物質界)と見えない世界(精神界)に生きているのだから・・

高級ホテルと安い民宿。
どちらで満足できる人が幸せでしょう?

高級料理と安い料理。
どちらで満足できれば・・・・・?

○神様
普段、神様を信じていない人が、困ったときだけ神様に祈る、いわゆる「神頼み」ってありますよね。
「これが叶えられれば」って。
神様と取引するの?
神はあなたの召使?
何も良いことがなくても「生かしてくれてありがとう。」これが究極ではないのかな?

良いことをすればお天道様(神様)が見てくれる。
それも究極の取り引きだよね?
良い結果を期待して良い行いをするの?
良い結果がなければ行動はムチャクチャ?
正直に生きるのはそういうため?

○私たちは思考や感情という道具をもらった。
それだけで良いと思わない?

○職場が辛い?
今の職場は人生の出会いのために神様から紹介された職場だよ。
しかし、職場に人生を左右させる力なんてない。
辞めたいときはいつでも辞めていいんだよ。
でも・・・学んでからですね。

○人生が分らない?
歴史や科学のなぞは好きですか?
では、もっと大きな人生のナゾは?

○あなたの目は何のためにあるの?
美しい夕日を見るため?
それとも醜いことを見るため?

○人生がうまくいかない、のを人のせいにすると
人のせいにする(したい)出来事が次々と生じます。

○気に入らない人と同じレベルに立つ必要はありません。
人生の”学び”として役立てるのです。
友達になれれば最高です。
「今度の休日はどこへ行こうか」って声をかけられれば最高です。
そうすると気に入らない人はいなくなります。

書評--あなたの人生には使命がある

あなたの人生には使命がある
アルフォンソ・リナーレス フェルナンデス (著),, 金子 一雄 (翻訳)
¥1500 PHP研究所

すべての人にはうまれてきた「使命」がある。
使命は個人の「情熱」「才能」「善」が一致したときに果たされる。
マイケル・ジョーダンは野球での使命でなかったため、野球では才能が開花せずに、バスケット・ボールでの使命であった。
使命と生き方が一致した人は、モーツァルトやニュートン、レオナルド・ダビンチ・・・

って、「ちょっと待てよ」、と言いたい。

いや、僕もすべての人には使命があると思うよ。
書いてあることは間違ってはいない、とも思う。
でも、アレクサンダー・フレミングやマーチン・ルーサー・キングjrの例を出してもすべての人に使命がある理由とはならないではないの?

著者はタイトルのことをいろいろ説明しようと書いたのだろうが、それが「すべての人に使命がある」という根拠にはなっていないだろう?
論理に飛躍がありすぎ。

お薦め度★★☆☆☆

書評--6000人を一瞬で変えたひと言

6000人を一瞬で変えたひと言 [コミック版]
大越俊夫 (著), つだゆみ (作画)
¥1000 サンマーク出版

思っていた自己啓発系やスピリチュアル系とはちょっと異なるのだが、これはこれで良い。
著者は不登校を相手にした学校の経営者。
不登校になったのは今の学校制度に問題があり、本人のせいではない。
本人はそのままでOK。

そういう言葉がたくさんある。

僕が読んだのはコミック版だが、コミック版になる、ということは、もとの本がそれなりに売れている、ということ。

ともあれ、コミック版は読みやすいし、ストーリー仕立て。

こんな学校で教員をやりたいぞ。

お薦め度★★★★☆

2013年5月13日 (月)

書評--宇宙の法則と女の幸せ

宇宙の法則と女の幸せ―もっと、ずっと、あなたが幸せになるためのメソッド
辰美 有美 (著)
\1400 カナリア書房

これからは女性の時代。
女性が幸せになるためには、宇宙の法則を知ること。
宇宙の法則とは、3次元をこえた発想。

って、だんだん論理が飛躍していき、最後には独りよがり?

別に書いてある事は間違ってはいないのです。
しかし、書き方が・・・
何の論理もなく、これからは4次元の時代とか、いきなり次の説明に移るので、読者もついていけないでしょう、という感じ。

ただ、その割にはそこそこ良い本だと思います。
お勧め度★★★☆☆

2013年5月12日 (日)

書評--サイン2

サイン2 神さまがくれた、幸せの羅針盤
龍&アニキ (著)
¥1000 ランダムハウス

前から気になっていた、「僕のアニキは神様と話ができる」というもの。

記事はほとんどブログのままだ、ということで、わざわざ本を買う必要はないかも。

ということで、古本屋で\105で売っていたので、「サイン1」は読んでいないが、「サイン2」を購入。

書いてある事は悪くない。

存在そのものに感謝する、とか植物にも意思がある、とか。

ただし、これが本当に神様なのかどうかは疑問が残る。

でも、途中の「親子の話」などはなかなか良かった。

ブログは
http://ameblo.jp/dragonest/
から次へ移行
http://ameblo.jp/signest/
そして1年前に終了している。
こういう内容のブログなので、いろいろあったようだ。

お勧め度★★★☆☆

2013年5月10日 (金)

書評--人は死なない

人は死なない-ある臨床医による摂理と霊性をめぐる思索
矢作 直樹 (著)
\1365 バジリコ

現役医師(東大教授?)が様々な体験によって、魂が不滅であることを説明。

誠実な文章なのだが、章ごとの文章にまとまりはない。
臨死体験などは、レイモンド・ムーディー「かいま見た死後の世界」から読んでいる僕には「何をいまさら・・」なのであるが、この関係を読んだことのない人には参考になるだろう。

お勧め度★★★☆☆

2013年5月 5日 (日)

書評--ラマー愛と魂への旅

ラマー愛と魂への旅
ダレル T.ヘア (著) 灰谷 健次郎 (翻訳)
飛鳥新社

絶版だがamazonの中古が¥1-。

この童話的な書き方は「サラとソロモン」に近いかな?
物語の最初から最後まで、物質的な死と生の間、つまり「中間世」が場面。
主人公の羽のついたウサギとその仲間たちとの、魂の会話。

スピリチュアル系の大人のための童話といったところ。

訳者は元教員の児童文学者。

お勧め度:★★★☆☆

2013年5月 3日 (金)

書評--アルケミスト

アルケミスト―夢を旅した少年
パウロ コエーリョ (著)  山川 紘矢 (翻訳), 山川 亜希子 (翻訳)

amazonの評価は非常に高いです。
僕の評価を気にせず他の方の意見を参考にしてください。

僕としては・・

まあ、ストーリー仕立てが好きで、その中で人生の教訓が少し学ばれば、という方には良いのではないのでしょうか。
期待して最後まで読んだら結末があれ?
全世界で1000万人が読んでいるというのが信じられない。
言いたいのはそれだけ。

お勧め度★★☆☆☆

2013年5月 1日 (水)

書評--見えない世界を超えて

見えない世界を超えて―すべてはひとつになる
岸根 卓郎 (著)
サンマーク出版 ¥1600

絶版だがamazonの中古が¥1-

これは大学教授が書いているのでそれなりの文体。

仏教入門の説明かな?と思ったが、そうでもない。
量子論や相対性理論の説明も取り入れ、近代科学のみではものの見方は三次元的である、と説き、
見えない世界こそが、本当の世界で、すべてはひとつにつながっている、という。

仏教や量子論など、タイトルどおり、ひとつのもの、として見る勉強には良いのではないでしょうか?
この手の本を読んだことがなければ¥1-なので是非読んでみてください。

ただし僕はほとんど、他の本に書いてあったことの寄せ集めなので、あまり面白くは感じなかったですが。

お勧め度★★★☆☆

書評--幸運予告2

幸運予告2 世界一ハッピーに願いが叶う“宇宙の法則”
佳川 奈未 (著)
\1365 マガジンハウス

ちょっと前に幸運予告を紹介した。
これはぞの続編。

うーん
2番煎じはダメか・・・

自分の体験を順番に書き続けて、「宇宙はこのように・・・という結果をもたらしてくれるのです」って、半分はこじつけ?
どこか浅見帆帆子と文体が似てきている。

お勧め度★★☆☆☆

って、これだけじゃ寂しいので、途中に紹介されていた鈴虫寺(京都)を紹介しておきます。

そこには「幸福地蔵」というのがおかれていて、「ひとつだけ」願いをかなえてくれるそうです。
(この「ひとつだけ」というのがなぜか気に入りました)
わらじを履いている珍しいお地蔵様で、わらじはあなたの家まで地蔵様が歩いてくるため、だとか。

大きな神社も良いですが、京都に行ったら訪れてみたいところです。

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