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2013年5月28日 (火)

スピリチュアルに生きる(141)

体の不自由な人を見ると気の毒に思う。

しかし、心の不自由な人はそうは思わず腹を立ててしまうのは何故だろう?

例えば感情の不自由な人、(つまり感情をコントロールできずに、八つ当たりしたり、我慢をしたりできない人)
も実は気の毒な人なのだ。そう思えば腹は立たない。

人生は映画にたとえられる。
私たちの本質は映画そのものでなくてスクリーン。

映画は3次元の動きを2次元に映し出すのだが、物質界は4次元の動きを3次元に映し出す。

私=肉体 ではない。
私は肉体を認識するもの。

私=感情 でもない。
感情を観察するもの

私=思考 でもない。
思考が生じる場を提供するかも知れないが。

そうしてみると、つまり私たちの本質は、3次元の出来事でなくて、3次元の出来事を映し出す「空」の方であろう。
(これは覚醒した人がみんな言っている)

時間と空間を映し出すスクリーンは「いま・ここ」。
永遠の「いま・ここ」は、時間がある次元を映し出す。(だからタイムトラベル映画ができるのだ)

・・・と思考で考えてもダメなんだよね。思考ではないのだから。

ともあれ・・・
どんな映画を映すかも自分しだい。
映画は悪役がいなければ刑事ものは成立しないし、敵がいなければアクション映画はできない。映画が終わればノーサイド。出演者に拍手を送る。
そういう意味では、映画を見る立場の私たちは、自由だし、至福の状態にある。

毎晩、眠る前に、自分にいやな思いをさせた人にこう礼を言うのが正しいかも。「私の今日の映画に悪役で出演してくれてありがとう。」

====お断り====
8月上旬の国家試験の勉強のため、当ブログの書き込みがペースダウンします。

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