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2013年5月30日 (木)

書評--”それ”は在る(2)

結局、500ページを一気に読んでしまった。

対話形式だが、物語の要素も若干含まれ、”師”と”弟子”の会話により学びが徐々に深まっていくので、飽きることはない。

あとがきによれば
サン・ジェヌマン
イェシュア(イエス)
メルキゼデク
OSHO
ラマナ・マハルシ
たちによってこの本が成立した、という。

そういう意味では、これらはそれらの覚醒した人々の教えを、非常にうまくまとめたものといえるだろう。

これは「上級者向け」と書かれている。しかし、悟りに興味があり、最初の数十ページを読めれば、最後まで読めるでしょう。
(そうでない方はもっと入門書から。たとえば前にここで紹介した「悟り系でいこう」とか「気づきの扉」あたりか?)

「”私”は思考でも感情でも肉体でもない。それらと同一視することは間違いだ。いや、正しい・間違っているという判断さえ意味がない。
”私”はただ「在る」ものであり、それ以外のものではない。
”私”を手放すときに世界が現れる(・・・ってこれは誰の言葉だっけ?)」

とまあ、こんな感じですが、この世界は幻想・自我の放棄という意味ではACIMより分りやすい。

出来事に偶然はない。---ということはこの本を読んだのも必然。
出来事はただ起きているだけ。それに意味はない。意味をつけるのは”私”だけ。

たぶん、この本を繰り返して読めば幻想の世界の仕組みが分る。
覚醒系の本では必読書でしょう。
(予言)これからこの本は相当に有名になるでしょう。

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