« 書評--未来の魔法のランプ | トップページ | スピリチュアルに生きる(140) »

2013年5月22日 (水)

書評--ソウル・オブ・マネー

人類最大の秘密の扉を開く ソウル・オブ・マネー 世界をまるっきり変えてしまう<<お金とあなたとの関係>
リン・トゥイスト (著), 牧野内 大史 (監修, 翻訳)
¥1890 ヒカルランド

良書。

お金の問題が主だが、読み方を変えれば私たちの生き方に対する示唆に富んでいる。
スピリチュアル系である人も、社会派の人も読める。

マリアン・ウィリアムソン(「愛への帰還」著者)
ディーパック・チョプラ
なども冒頭で推薦。

余計な僕の感想を書かずに、文章を紹介しておきます。

お薦め度★★★★☆(4以上)

書評の冒頭部
http://wiki.livedoor.jp/harunoriyukamu/d/%A5%EA%A5%F3%A1%A6%A5%C8%A5%A5%A5%A4%A5%B9%A5%C8%A1%D8%A5%BD%A5%A6%A5%EB%A1%A6%A5%AA%A5%D6%A1%A6%A5%DE%A5%CD%A1%BC%A1%D9%C6%FC%CB%DC%B8%EC%CC%F5
(リンクが長いのでリンク先の訳もはっておこう--もともとは全文がPDFで公開されていたらしい(英語)))
リン・トゥイストが Big Picture にお金にまつわる神話と嘘の数々を語る

英国ロンドン
2004年5月21日

お金は何千年ものあいだ誤解され貶められてきました。お金はおよそ三千五百年前に発明されました。ひとびとの集まりのなかでモノや資源(リソース)を円滑に分け合うためにです。これがそもそもの目的ですが、そこから逸れてしまいました。お金はいまや、たがいのモノや資源を分け合える道具としてよりも、むしろたがいを分け隔て威圧するものとして使われるようになりました。わたしたちはそれぞれ住む地域によって分断されています。それに富める者と貧しい者、先進国と途上国というような呼び名も使います。
わたしたちは、お金をひとつの手段とするよりも、お金を目的に、お金を目当てとするようになりました。お金を人命よりも大事にあつかい、自然界よりも大事なもの、そして神よりも大事なものとしてあつかっています。わたしたちはお金に対して、並外れて重大な意味をもたせているのです。ほんとうはお金にそれほどの意味はありません。お金は単に交換を仲立ちするものです。わたしたちが発明したものですが、わたしたちはお金に圧倒されています。たいていのひとは、お金のことで苦悩と悲痛を味わっています。これは、お金のために働かざるを得ないひとびとだけの話ではありません。たいへん裕福なひとびとであっても、自分の財産を失うかもしれない苦悩と恐怖に苛まされながら暮らしているのです。わたしたちは貧富の差にかかわらず、お金をめぐる大きな混乱のなかで、取り乱し、わけが分からなくなっています。というのも、わたしたちのお金とのつきあいかたが、まったく倫理に反した、不適切なものだからです。わたしたちは、お金をほかのなによりも大事なものとしてあつかっていますが、それが真実に反すると知っています。
わたしたちがお金について語る嘘の数々は、いくつかの無意識かつ未検証の信念を寄せ集めたものです。まったくのところ信念の集合体なんですね。あらゆるものごとに浸透しているこの信念構造を、「不足という嘘」とわたしは呼んでいます。この「不足という嘘」は、わたしたちが世界を見て・理解する方法まるごとそのものです。これは未検証かつ無意識の準拠枠なんですね。わたしたちがそれをとおして世界をのぞく眼鏡のような役割を果たしています。この「嘘」は「三つの有毒な神話」から成り立っていると、わたしは説明しています。

第一の神話は、「足りない」あるいは「行きわたるだけ充分にはない」というものです。わたしたちは実際にこういったことをよくよく考えた末に、「足りない」と判断しているのではありません。「足りない」という信念体系にもとづいて思考をめぐらすのです。時間が足りない、お金が足りない、愛が足りない、セックスが足りない、週末が足りない、平日が足りない、昼の時間が足りない、夜の時間が足りない、寝る時間が足りない。キリがありません! わたしたちは「足りない」という信念の海のなかで暮らしています。そして、日毎にこの思いを強めています。現代の消費文化において「足りない」という信念は、企業のPR活動、そして広告産業によって、さらに深く、強いものとなっていきます。じつに抜け目のない業界で、それはもう見事な仕事をしていますね! わたしたちは、なにがなんでも、既に持っているより多くのモノを手に入れなければならないと考えるよう、絶えず仕向けられています。もっとあれが必要、これも必要、もっと服が必要、もっと広い敷地が必要、もっともっと、なにもかもです。この絶えず押し寄せる荒々しいメッセージの洪水はわたしたちに侵入し、ついには自分自身にも物足りなさを覚えるようになります。そんなわけで、「不足という嘘」の第一の有毒な神話は、「あれが足りない、これも足りない、わたしたちは充分に持っていない。わたしは充分に持っていない」です。最終的にこの神話は精神に巣くい、ひとびとは「わたしには欠けているものがある」と思うようになります。わたしたちは「欠損の人間」とでもいうような生き方を始め、外界のモノを次々と手に入れようと必死になります。それというのも、わたしたちの内なる富に全く意識をむけることがないからです。知ることもなければ、関わりをもつこともありません。

第二の神話は、さきほど説明した「足りない」という神話から論理的に導かれます。「不足という嘘」の有毒の神話の第二は、すなわち「多いほどよい」です。あれもこれも、なにもかもです! わたしたちはみな、およそ実際に利用できる量より多くのモノを持っているのですから、この神話はまったく論理にかなっていません。このことをたいていのひとはうっすらと分かっています。そういうひとはわざわざ時間をさいて、不必要になったモノを集めて教会に持っていったり、ガレージセールを開いたり、あるいはフリーマーケットに足を運んだりします。そのいっぽうで、同じひとが、さらなる買い物をする時間を確保しようとたくらむのですから、まったくばかげています。たとえ大金持ちであろうと、貯金が無いひとであろうと、この「多いほどよい」という文化に捕われています。テレビのCM、映画、雑誌の記事、そして町の看板から発せられるメッセージは、わたしたちに「もっと多くのモノを手に入れなければ」と信じこませ、たえず憑きまといます。これが第二の有毒な神話です。

第三の神話は、「世の中そういうもの」です。この神話はもっとも致命的です。はじめの二つの神話を疑わずに受けいれるよう働きます。こうしてわたしたちは、「まだ足りない」「多いほどよい」そして「世の中そういうもの」と語りかける世界に住まわされるのです。これはわたしたちが生きていくうえで、とてつもない制約になっています。すなわち不足という制約ですね。ここから抜け出る道はほとんどありません。わたしたちが呼吸する空気、あるいは、泳ぎまわる水のようなものです。わたしたちはこの制約に、より大きな支配権を与え、より大きな意味を与えつづけています。そうすればするほど、わたしたちは苦しむことになります。ひとびとはつぎつぎと不必要なモノに溺れ、中毒症状を深めていきます。ひとびとは消費文化のなかでますます正気を失い、(責任ある主体である)市民であることを止めるのです。わたしたちは、いまや単なる消費者でしかありません。「もっともっと」と打ち鳴らされる太鼓の音にあわせて行進しているのです。こうして、さらなる負債、さらなる赤字へと、一歩一歩あゆみを進めて行くのです。世界中のひとびとが借金にむかっています。国家がかかえる負債、地方自治体がかかえる負債、学校制度がかかえる負債。わたしたちは「欠乏の現実」を生きています。そして、どういうわけかこの現実を受けいれ、まったく正当なものとしてきたのです。

わたしは、お金を水のようなものとして考えるのが好きです。この喩えをとおして、人生を、この世界を、異なったやりかたで見ることができます。あるいは、新しい目と耳で世界を体験すると言ってもいいですね。わたしたちは、さきほどの神話体系、「不足という嘘」を手放さなければなりません。わたしたちが暮らす現代の消費文化からすれば、じつに過激なやりかたで、この世界を見なおす必要があります。すなわち、人生の、生命の、驚くべき真実を知ること。その根源的な真実とは、実際には「足りている」あるいは「充分にある」ということです。世界中の誰もが、健康で、生産的な暮らしができるだけのものが充分にそろっているのです。この世界ではほとんど異端ともいえる発言ですね! しかし、わたしたちが本当は必要でないモノを次々と手に入れようとするのを止めて、わたしたちが持っているものに注意をはらい、その価値を新たに認めるとき、とてつもないエネルギーが解き放たれます。より多くを求めることを止めて、既に持っているものに意識をむけ、その価値を再認識するとき、それは拡大します。別な言いかたをすれば、「感謝の気持ちは、相手の尊さを高める」のです。
この認識とあいまって、お金についてまったく異なった理解を得ることができます。お金は、「足りない」という恐怖に駆られながら、あなた自身や家族のために必死になって手に入れ、貯めこむようなものではありません。「多いほどよい」あるいは「世の中そういうもの」そのどちらも真実ではありません。お金を、わたしたちの大切な共有地(コモンズ)の一部として理解するのです。お金は、わたしたちすべてに帰属する、すべてのひとの所有物です。あるいは、お金は、誰にも帰属しない、誰の所有物でもないとも言えます。それは水のようなものです。水はあらゆる命をとおして流れます。あらゆる暮らし、あらゆる生活をとおして流れます。ときに、ひとつの命のうちに流れこみ、命のそとに流れ出ます。わたしたちがどんなことをしようと、それはひとつの成りゆきです。お金が、賞賛や尊敬の気持ち、そして気高い誠実さに満ちた生き方をとおして流れるとき、お金はこの世界を養い、清め、救うことができます。同じように、水の流れは、ものごとを清め、洗い流し、育てる助けとなります。しかし、水の流れが堰きとめられ、溜めこまれると、水はしだいに淀み、水の持ち主を毒するようになります。お金も同じ働きをします。ひとがお金にしがみつき、とりわけ恐怖心から貯めこむと、お金はその持ち主にとって有毒なものとなります。この世界との触れあい、繋がりが失われます。ですから、世界との関わりあいを失わないように、つねに慎ましさを忘れず、あなた自身の本質に触れていることがとても大切です。
そんなわけで、わたしはお金を水のようなものとして理解するのが好きです。お金は、あらゆる暮らし、あらゆる生活をとおして流れます。あるひとにとっては大河の激流であり、あるひとにとってはほんのわずかな滴りです。しかし、お金がどこからあなたのもとへ流れこもうと、あるいは充分なお金を手にする特権に恵まれているのが誰であろうと、わたしたちひとりひとりの務めは、最も多くのひとびとにとって最も善いことを実現する場へと、お金を回し、送ることだとわたしは考えています。そのようなお金の使いかたの数々を、わたしたちはぜひとも探すべきです。どの企業が、生命に貢献する健全な方法でビジネスを行っているのかを、注意深く見抜く必要があります。お金を貯める方法にしても同じです。たとえば、数々の素晴らしいコミュニティ・トラスト(信託財団)からひとつ選んで、そこへわたしたちのお金を預けることができます。その財団のお金は、ホームレス、あるいは困窮しているひとびとに貸し付けを行うのに使われます。さらに、この世界に、社会に、じかに貢献できる方法の数々についても関心を高めていく必要があります。あなたが属する経済的階層がどこであろうと、フィランソロピー(社会貢献活動)を念頭においてほしいのです。フィランソロピーは、だれにとっても他人事ではありません。その意味するところは、人類への愛、未来のあらゆる世代にむけた愛、生きとし生けるものへの愛です。お金は、あらゆる暮らし、あらゆる生活をとおして流れます。そして、お金をうちからそとへ流すときには、あなたの最も気高いコミットメント(誓願)にかなうような使いかたを選んでほしいのです。低俗な不安や欲望に引きずられた使いかたではなく。
わたしたちのお金の使いかたは、より善い世界をつくるうえで重要な役割をはたすことができます。あなたの魂が憧れる、その想いに寄り添うかたちでお金を使うとき、あなたの暮らしはより豊かなものになります。それは、あなたが多くのお金を持っているからではありません。あなたのもとへ流れこんだお金が、あなたを養い、この世界を養うからです。繁栄と成就に至る道は、「もっと多く」を求めることでは決して辿りつけません。「もっと多く」を求める道は、つねに「足りない」という感覚をもたらします。ひとびとは「もっと多く」を欲しがる気持ちをますます強めることになります。真実の成就と繁栄へと至る道は、ほとんど知られていない、この「充分にある」という認識をとおります。わたしたちひとりひとりが、まさに必要なだけ持っていると知ること。過去も、未来も、つねにそうであると知ることです。わたしたちが既に持っているものに意識をむけて、その価値を新たに認めること。これこそが最も優れた道であり、この認識をとおして、わたしたちは、充足、成就、そして真実の繁栄が、いまここにあると気がつくのです。

本の中にあった詩の引用
http://www.ieji.org/archive/i-asked-god.html

で、この本とは関係ないが、その引用先にはよさそうな文章がいくつか紹介されている。http://www.ieji.org/archive/index.html

« 書評--未来の魔法のランプ | トップページ | スピリチュアルに生きる(140) »

書評」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/523730/57435355

この記事へのトラックバック一覧です: 書評--ソウル・オブ・マネー:

« 書評--未来の魔法のランプ | トップページ | スピリチュアルに生きる(140) »