« BU/27 私たちの本質 | トップページ | BU/29 私たちの価値 »

2016年5月19日 (木)

BU/28 私とは?/演習

あなたは誰?と聞かれたらどう答えますか?
まず、姓名を名乗るかも知れません。
でも名前というのはあなたの呼称であり、あなた自身ではありません。
△×県民です」「○□市民です」
って、これはあなた特定するものではありませんよね?
どうして私は△×県民と言ってしまうのか、思い出してみてください。

「家庭を守る主婦です」
って、違いますよね?確かに家庭を守っていらっしゃいます。でもそれがあなたの定義ではないです。

「会社員です」
って、それがあなた自身ですか?
会社のためにがんばっているのは認めます。でもそれはあなたの一部ですよね?
あなたはどうして会社員なのですか?

「私は病気で入院中です」
それはあなたの身体の一部のことですよね?それ以外のあなたの本質は?
すばらしい人格をお持ちの部分は無視ですか?

「私はバツイチです」
自由恋愛をする権利を手に入れられましたね。あなたはどんな素敵な方とどんな交際をしようと自由です。
でもそれはあなたの状況であり、やはりあなた自身ではありません。

「私はビルの清掃員です」
それは良かった。ビルはあなたが支えているのです。清掃員がいなくてはビル全体が困ります。
次のような方もいらっしゃいますよ。
「私は失業者です」
それはあなたの職業に関する状態のことだけですよね?
失業状態ということは、明日からどんな職業に就いても良いという可能性を持っている状態であるということです。
失業そのものは、この物質世界で生きていくには収入面では問題があるかも知れません。
でも、可能性という面を見れば最高の状況ですよね?
「失業者」という変わりに「希望に満ちて次の仕事を探している」と言い換えることもできます。
以上はほんの一例ですが、状況=自分 ではないのです。

思考=現実 ではありません。
感情=現実 でもありません。

それはあなたをかたどっている、ごく一部の現象にしか過ぎません。
外部の状況に自分のマインドを左右される習慣を持っていると踊らされます。
「あの人が私のことを**と思っている」
「上司が私を**と言った」
こういう思いは自分の幸福を自分自身でなく、外部に託しているのです。

「あの人が私のことを**と思っている」
のは、あなたの感想とか伝聞です。
「上司が私を**と言った」
のは、あなたへの批判とは限りませんし、
確実に批判と判断されるのでしたら、その「判断」を手放しましょう、というのがこの一連のメッセージです。

判断する必要がありますか?判断して何か利益がありますか?手放せるなら手放しましょう。
感情的に手放せない?であれば感情そのものを手放しましょう。感情はあなたそのものではないのです。
外部に自分の幸福を委託しては永遠に幸福が得られません。
そして、外部の状況で幸福が左右されると思っているなら
「外部には自分の意識は変えられない」というところに振り返りましょう。
あなたの感情や思考などといった、あなたの本質でない部分のみが外部の状況に影響されるのです。
これまで確かめたように、意識はただ存在します。

演習1
部屋にあるものに名前をつけて下さい。
パソコンに「パソコン」って名前をつけても意味ありません。
エアコンに「A子さん」とか、鉛筆に「ブラームス君」とか
イチゴに「じゃがいも」とか、辞書に「#999号」などと名前をつけるのです。
さて、10こほどのものに名前をつけて、一度名前をつける前と比較してみましょう。
何か、感覚の違いが感じられましたか?

演習2
次に、ではなくて、自分自身の性格や特徴で好きでない部分1つに名前をつけてみてください。
何か、感じられましたか?

演習3
10秒ほど、じっと流れる時間を感じてください。
それに名前をつけて下さい。
さて、演習1でやったのと同様に自分とそれ(時間)の間に分離感が感じられましたか?

*以上の演習はハリー・パルマー著「意図的に生きる」を参考にしています。残念ながら本に書いてあることはここまで。全部で15ほどの質問が用意されているようで、日本でもそのトレーナーが多く存在するようですが、とても高額。ハリー・パルマーに限らず日本でもそういう著書が結構あります。そういう意味では瞑想方法とか自分質問をする内容を全部明らかにしているような著書を僕は好きです。ですからあとは僕の解釈です。

演習1
演習2と3のための準備でした。

演習2
自分は意識そのもので、その名前をつけたものは自分ではないという感覚が得られれば幸いです。

演習3
さて、上記手順を踏まえると「時間」も含めて名前をつけられるものはすべて「自分」ではない、ということに気づくでしょう。
反対に、私たちが唯一名前をつけることができないもの=本当の自分ということも判ってきます。
つまり、私たちの意識そのものは時間を超越したところに(=今)ただ存在しているのです。
自分の欠点や時間にまで名前をつけられるとしたら、過去の悪い思い出や空間や病気はどうでしょう?やはり名前がつけられませんか?「私は貧乏だった」「わたしはいじめられていた」「私は鬱だ」
つまり名前をつけられるということは、名前をつけた本質のあなたが別に存在するのであって、あなた自身ではない、ということです。

例えばあなたの目の前にパソコンがあります。
「私のパソコン」
あなたは部屋の中にいます。
「私の部屋」
書籍が目に入ります。
「私の本」
あなたはパソコンではないし、部屋ではないし、本でもありませんね?(当たり前ですよね?)

では次です。

「私の手」
「私の頭」
あなたは手や頭ではありませんね?
「いや、自分の肉体の一部です」と言われそうです。
では「私の肉体」としましょう。
あなた=物資的肉体 ではありませんよね?
「いいえ、”私の考え”は違います」と反論したらもっと面白いことになりますが。

次はいかがでしょう?
「私の喜び」
「私の悲しみ」
これらは「私の感情」です。
あなたは「感情」ではありませんよね?

色々な言葉がありますが、すべて「私の~」ということで、それが指しているものを客観的に意識する「私」が別にあることにお気づきでしょうか?
この”私”とは?

そうして考えてみますと、「私の過去」・・・これも”私”ではない。時間のことでしょうか?
「私の希望/夢」・・・これも違いそうです。なぜなら「私の欲望」「私の心配」と同じようなレベルですから。

最後に残った”私”というのは何でしょう?
「私の意識」って、これも自分自身ではなさそうです。
「私の経験」・・こうして考えてみると経験さえ自分ではなさそうです。[例]私の失敗
「私の人生」「私の魂」「私の心」これは、いかがでしょう?

こうしてみると「私の**」という**は私自身でない、ということを証明している言葉のようです。
「私の記憶」「私の性格」「私の歴史」「私の時間」これらは全部「私」ではないということになります。
最後に残ったのが本当の「私」。記憶や経験を観察している「私」が存在しています。
それは単なる”気づき”のようにも思えます。

以上を前提に、なぜか違和感がない言葉もあります。
「私の宇宙」
これは次のような言葉でも置き換えられるからかも知れません。
「私は宇宙」

違和感のある言葉もあります。
「私の法則」
これは上の例と反対にに
「私は法則」と置き換えられないからかも知れません。

では置き換えられそうな例を先ほどから拾ってみましょう。
「私は魂」「私は心」
大丈夫そうですね。

「私はマインド」「私は存在そのもの」
こうして、自分そのものではないもの(エゴ)を一つずつ取り除いていった最後に残るものが本当の「私」ということになりそうです。

[まとめ]

私は、相手の言動に逐一反応する感情ではないし、3次元世界での苦悩を経験する肉体でもない。
過去の悲しい記憶の産物でもないし、ネガティブな思考でもない。
私は単に行動するだけの3次元的肉体でもないし、心配ばかりしている存在でもない。
本当の私は、それらのエゴを全部消し去って残るもの。

===============

意識から既成概念を分離させたとき、私たちのものの見方は自由になれます。
意識という次元から、すべてのものを観察してみましょう。
例えば、もっとも身近な植物。「サクラ」とか「チューリップ」とかいうのは名称に過ぎません。
枝とか葉というのは物質的な一面に過ぎません。その背後に、「ただ存在している」植物の意識をみるのです。
植物でなくて、鉱物や金属ではどうでしょうか?
意識そのものには制限がありません。時間も空間も超えています。物質的な自分の肉体でさえ、名前がつけられます。客観的に自分を眺めることができるのです。
意識は宇宙そのものと繋がっていることが確認できましたか?

幸福とは状況ではありません。
「今、楽しいことをしている」というときは幸福感がいっぱいでしょう。
では、その楽しいことが終わったら、幸福が去るのですね?
また元に戻ってしまいます。

喜びの中からだけ幸福を見つけるのでなくて
苦しみの中からも幸福を見つけるのです。
苦しみを分析して「不幸」と定義して何の役にたちますか?
「喜び」というのは状況そのものでなくて、それをどのように自分に役立たせるか、です。

前に、「人生はゲームだ」と書いたことがあります。
ゲームには、立ちはだかる壁や難題があります。
それを乗り越えてこそゲームの醍醐味です。
そして、あなたは今、人生というゲームに向かい合っている。
BASHARその他何冊かの本では本当にゲームだそうです。)
ゲームそのもの、という観点から見れば、ゲームができるだけで幸せなはずです。
(このゲームに参加できない魂があちらの世界ではたくさん待っています)


あなたがこの世に生まれてきたのは幸せになるためです。
苦しんだり、悩んだりする必要はありません。
換言すると、苦しみや悩みはあなたの「選択」でしかないということです。
「幸せ」を選択してください。「最高」を選択してください。
望まない出来事・不幸な出来事をいくら細かく分析しても役にたちません。
それより、どうすればこの状態を克服できるか、を考えたほうが良さそうです。
過去の悲しい出来事は文字どおり「過去」のこと。
現在まで引きずる必要はありません。

今のあなたは「最高の自分」と「最低の自分」の間のどのあたりに位置しますか?

無いものを数えても幸せにはなりません。(ないものに意識をフォーカスすべきではなく)
あるものを数えれば幸福に近づきます。(あるものにフォーカスすべきなのです)
本当の豊かさは、お金ではありません。
(生きていく上での最低のお金はもちろん必要ですが)

お金がたくさんあっても満たされない人の何と多いことか。
本当の豊かさは物質でなくて魂が満たされることにあります。

自分を大切にしていますか?
自分に常に優しくしていますか?

めいっぱいの愛を自分に注いでいますか?
自分が悲しみや苦しみに浸っていたら引き上げてあげてください。

自分を喜びのある場所へ導いていますか?
自分を高める本をたくさん読んでいますか?

常に「最高の自分」でいましょう。

世の中のために何かしたい、といつも思っているあなたは忘れています。
「世の中」には自分も含まれるのだということを。
他の人を喜ばせる、というのも同じです。どうして自分を含めないのですか?
そして、自分が幸福になるのを素直に受け入れた方が良さそうです。
なぜなら、自分が幸福になるということは、すべての人が幸福になれる、ということではありませんか?
自分が幸福になる&喜びに満ちるのを自分に許可してください。
好きな人とデートするのは楽しいです。
明日はあなたが一番好きな人=自分とデートしてみませんか?

« BU/27 私たちの本質 | トップページ | BU/29 私たちの価値 »

バックアップ」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/523730/63653974

この記事へのトラックバック一覧です: BU/28 私とは?/演習:

« BU/27 私たちの本質 | トップページ | BU/29 私たちの価値 »