« BU/26 毎日”最高”の自分を生きていますか? | トップページ | BU/28 私とは?/演習 »

2016年5月18日 (水)

BU/27 私たちの本質

海の本質は?
波ではありません。それはごく表面だけです。
水滴では海とは呼べません。
2Oでもありません。それはただの分子構造です。
山もおなじように、土や岩、あるいは木や草でもありません。
時計は時間ではありません。
テレビや冷蔵庫の本質は電気ではありません。

さて、人間の本質も思考や感情や肉体ではありません。それらは自分の表現のごく一部です。
思考しているとき--ああ、自分は思考している
悲しみや喜びの感情を持っているとき--ああ、自分は悲しんでいる&喜んでいる
というときの「自分」という部分が本質です。

現状をどう捉えるか?
選択するのは常に自分自身です。
誰かに何かされたり言われたりして、その反応をポジティブにするかネガティブにするかはいつでも自分で決められるのです。
そう、いつでもポジティブな反応を用意することのできる「自分」がいつも存在しているのです。

突然、大金が転がり込んできたとしましょう。その時は幸福感を感じる可能性が高いです。
でもいつかはそのお金がなくなります。すると幸福感がなくなるでしょう。
欲しかったものを買った時も同様。いつかはなくなったり壊れたりします。
その度に喜んだり、悲しんだり。

そして私たちの肉体も同じ。いつかは元の世界に戻ります。
つまり永遠の喜びというものは、外部の状況や持ち物に依存している限り、ありえないのです。
周囲の状況に一喜一憂する限り本当の平穏は訪れません。

サイコロは1~6の数字の目がありますが、それも表面だけです。
サイコロの本当の姿は?

サイコロから数字の目をはずして見ましょう。
本当の姿は立方体です。

では私たちの表面からも同じように
感情・思考・理性・肉体・性格・記憶・理想・状況・自我(エゴ)などをはずしてみましょう。
できなければ次を考えてみましょう。

感情の一つ、「悲しみ」を例にとれば、「悲しみ」というのはあなたそのものではありませんね?
あなたの感情の一部ですね。だから今だけ「悲しみ」を忘れてみてください、ということです。

「理性」も作られたものです。
○△
が正しいとか間違っているとかいうのは、生まれてから今まで、家族や学校の教育・社会のニュース・書籍などで得られたものです。
それにより正しいか間違っているか判断しているのです。今だけ手放してみましょう。
(例)中世までの教育では地球は平らなものでした。

「性格」もあなた自身ではありません。
明るいとか人見知りするとか涙もろいとか感情の起伏が激しいとかは、あなたの積み重なった経験によって、変わってきたものです。
これらは変わります。変わるものは「あなた自身」ではありません。
すべての例は掲げませんが、本当の「あなた自身」ではない、変わりえるものは、一時的に解き放ちましょう、ということです。
それら、外せるものを全部はずした時に残ったものがあります。

過去の記憶だけでなく、未来の時間も、あなたが認識する宇宙の空間そのものも外せるかも知れません。
(時間は想像に過ぎません。未来を手放せれば恐れや不安も手放せます。物資は実はほとんどが何もない空間であることが物理学で証明されています)
それらを外してみてください。

最後に、どうしてもはずせないものが一つだけあります。
それらを外した存在そのものです。
それが意識であり生命であり、私たちの本当の姿です。

さて、以上のものを意識が外せるのですから、本当の自分ではないネガティブな部分はいつでも手放せることにお気づきでしょうか?
そして、人間の本質が性格や肉体、言動でないとすれば、あなたを傷つけたり、怒らせたりする相手の本質も実はあなたと同じ意識の存在であった、ということに気がつくのではないでしょうか?
その段階で、あなたは他人への批判から自由になれるはずです。

旅行に行くときに一番嬉しいのは、旅行の行き先に立った時や、計画をたてる時なのは経験されていると思います。
自分の欲しかったもの--新しいケータイでも車でも、本でも、自分の好きなものを考えてみてください。
その新しいケータイやら車をゲットしたら、それが当たり前になってしまって喜びは先細りではないですか?
「あなたに3日後に一番好きなものをご馳走しましょう。」
ステーキでも特上寿司でもあなたが好きなものを想像してください。
その3日間は実際に食べるのと同じくらいに楽しみなのではありませんか?

さて、せっかく奢ってくれる相手が、当日都合が悪くなりました。でもその3日間、楽しめましたよね?
そんな悪い例ばかり掲げません。実際に豪華なステーキを奢ってくれたとしましょう。
一口目、「美味し~い\(^o^)/」
まあ、3口目まで継続するでしょう。あとは当たり前になって、食べ終わる頃には「またいつか食べたい」の満足感ともう終わったのか、という寂しさで終わるのではないでしょうか?
先ほど例に掲げたケータイや車も同じかも。
一番嬉しいのは買った瞬間、というよりその前の検討している間かも知れません。

ここで言わんとするところは、
喜びは物質や行為そのものでなくて「それを考えているところに存在する」ということです。
思考は現実そのものではありません。
(同じ建物を見ても、建築家は構造を見ます。庭師は庭の出来具合を見ます。装飾師は壁紙などを見ます。みな、違うものを見て、その建築が良いか悪いか判断(思考)するのです。

アインシュタインが登場するまで質量とエネルギーは異なるものでした。
30年前までポケットに入れて持ち歩ける電話などというものはSFの世界でした。)
恐れや不安も同じ。生じる可能性がごくわずかでも、まだ現実となっていないことに、あれこれ心配をめぐらすわけです。
つまり、あなたを一喜一憂させるものは状況現実ではなくて、思い込みや解釈なのです。
とすれば、あなたの思いを現実に支配されることなく、現実への反応を自由に限りなくポジティブに変えることができるのではありませんか?

心の平安を外部に求めても極めて不安定です。
例えば・・・
「愛を求める」というのは「自分はまだ愛に満たされていない」と認めていることです。
でも本当に愛されていれば「愛を求める」ことはありません。
そして本当に愛されていなくても、「愛している」と言われたのが本当だ、と信じることができるなら幸せです。

**を欲しがるということは、**が今は持っていない、つまり欠乏している、ということです。
既に持っているものは欲しがることはできません。
だから「**が手に入れば幸福」というのは「**が欠乏している」ということと同じ。
つまり幸福を追いかけているということは幸福ではない、ということです。

満たされていない、という波動を発信しているのです。逆説的ですが、求め続ける限り、満たされないのです。

« BU/26 毎日”最高”の自分を生きていますか? | トップページ | BU/28 私とは?/演習 »

バックアップ」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/523730/63649835

この記事へのトラックバック一覧です: BU/27 私たちの本質:

« BU/26 毎日”最高”の自分を生きていますか? | トップページ | BU/28 私とは?/演習 »