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2016年5月 9日 (月)

BU/15 エゴを手放す

困った時は「どうしてか?」と悩むのに
幸せな時は「どうしてか?」と思わない。

どうして? (笑)

幸福な時は「どうして幸福なのだろう?」と考えたりしません。
不幸な時だけ「どうして?」と考えるのです。

これがエゴの正体です。

あるものを有難がらず、ないものを無限に欲しがる。
欲しいものが手に入ったら「次は**が欲しい」。
少しお金が手に入ったら「もっとたくさん欲しい」。
たくさんのところに旅行に行きたい、素敵な恋人が欲しい、美味しいものをたくさん食べたい、できれば楽をして生きていたい、もっと高級は服を着たい。
欲望は終わることがありませんかから、エゴを満足させることは永久にできません。
エゴを満足させようとするのは無駄なことのようです。

たとえば「私の体」というときの「私」はどこにいるのでしょう?
もちろん体の中ではなさそうです。
どこにもいない、というのがマスターたちの教えです。
「私」というのはエゴの部分でもありません。

ではエゴを手放したら?

順番に例を考えてみます。
まず喫煙者がタバコを手放したら?
タバコから自由になります。
タバコを吸う時間も買うお金も必要なくなるのですから自由が拡大します。

大人になったとき、育った家から独立したら?
どこに住むのも自由になります。

今の仕事を手放したら?
どんな仕事でも転職できます。(あまり現実的でない?まあ、あくまで理論的にですが・・)

贅沢したい、という欲望を手放したら?
生きているだけで満足できます。

それでは自分(エゴ)を手放したら?
自分以外のすべてを得る、というのがマスターの教えです。

つまり「自分」でなく、世界そのものになります。
自分にこだわらないので、すべての人を愛せます。
あるがままの状態をそのまま受け入れることができます。

実はこれも引き寄せの法則と関係しているのです。
欲しがると欲しい状態を宇宙が継続してくれる。
あるもので満足していると満足する状態が引き寄せられるのです

話は逸れますが、
自転車のサドルはカバーの下はスポンジでできています。
僕の自転車はカバーに穴があいているため、雨が降ると水が浸み込みます。
それを忘れて座ると、水が浸み出してきて、おしりが濡れます。
だから雨が降るときは、スーパーのレジ袋を被せています。

ところが、被せたままにしておくと、袋の隙から入り込んだ雨が蒸発しないのです。
晴れた日には袋を取らねばならなかったのです。

ふと、気づきました。
このレジ袋、私たちのエゴと似ているのでは、と?
袋を取るだけで良いのに、ずっと被せたまま。

ある本に書かれていた違うたとえ。
陽光の降り注ぐ中、窓をすべて閉ざし、外の世界を知らずに、ずっと暗い家の中で暮らしている。
ただ、窓を開ければ太陽の恵みが届くというのに。

セキュリティのしっかりしている豪邸は、外から見ると、どこか刑務所に似ています。
壁を高くし、外からの侵入を決して許さない。
エゴが創った壁を壊してみませんか?

エゴは”正しさ”を求めます。でも「正しさ」では幸福にはなれないのです。

エゴは私たちの本質でなくて、エゴ(肉体・感情・思考・欲望etc.)を守るために自己の存在を主張します。(だからエゴの主張は聞いてあげる必要はあります。エゴを壊すのでなく--それは必要だから--エゴが創った壁を壊すのです)

人には親切にせねばならない。
一生懸命に仕事をして稼がねばならない。
人に迷惑をかけてはいけない。
身体を鍛えねばならない。

子供の頃からずっとそうやって教えられてきました。
しかし、本当でしょうか?
これらはエゴの観念であるかも知れません。
マスターたちの教えはすべては一つ(ワンネス)です。
親切にしたり、迷惑な行為をしても、ワンネスなのだから正しいとか間違っているとかありません。
その行為がただ自分に返ってくるだけです。

二元的価値観を持っていると、あるいはそういう道徳的な行為をしていない人を非難することにつながります。
それは自分を非難することにも繋がります。
善悪を判断するのでなく、あるがままを受け容れるのです。

上があるから下がある。
プラスがあるからマイナスがある。
外側があるから内側がある。
悪があるから善がある。
不幸があるから幸福がある。
悲しみがあるから喜びがある。

片方だけ存在するのは不可能。
だったらすべてを受け容れよう。

と言っても、悪や不幸を見過ごそうというのではありません。
判断を手放すのです。

これは良いとかこれは悪いとかのジャッジをするのでなく、
すべては起こるべくして起こっている、すべてをあるがままに受け容れるということです。(文末※1参照)

出来事を「良いこと・悪いこと」と判断するから、そう判断すべき出来事がやってくるのかも知れません。
判断を手放したとき、すべては完璧な出来事となる。

ネガティブ思考から逃れて頑張ってポジティブになろうとすることは、ネガティブな可能性を消し去ったわけではありません。
良い事が起こるにはポジティブ思考が重要、という考え方は、究極的には「ネガティブな現実も起こる」という認識があるのです。

ネガティブな出来事そのものが存在しない、あるいは、すべては自分のために起こっている、と信じるべきなのです。

マイナスの風水(どの方角に何を置く、でなくて、置いてはいけないものを取り除く、という考え方)と同様に心の中からマイナスを取る(浄化する)と良いことが起こります。
「引き寄せの法則」はある意味では手放しの法則なのです。
心の奥底で幸福の実現を邪魔していたのかも知れないからです。
私たちが本当に欲しいものを得られないのは心の奥底には本当は実現したくない、という欲求があるようです。
例えば「あまりラッキーなことがあると、その後に不吉なことがある」とかいう観念を持っていたとしたら、実現しません。

自己実現に必要なのは、ポジティブな波動のみでなく、次のようなことです。
うまくいっていないのは実は次のことがまだできていないからかも知れません。

1)観念などを手放すこと。

2)判断しないこと。

3)自分が受け取ることを赦す。

例えば豊かさについての観念。
やってくるのを邪魔していただけなのかも知れません。
3億円がやってこようとしているのに、年収**万円の仕事にしがみついていたら、3億円が手に入らないことを証明しているようなもの。
受け取ることを自分に赦していないのです。創造主が与えてくれる豊かさに目を向けていないのです。
あるいは「自分だけがそんなに大金を手に入れて良いのか」という罪悪感。
願ったとおり、でなくて心の奥で信じていたとおりが実現します。そういう観念を一つずつ手放していくのです。

「自分が貧困に留まっても世界の貧困は救えません。しかし自分が裕福になれば救えるのです。」とある本にありました。

成功マニュアルの本を書いた人は私たちとは思考が異なります。
私たちが成功して、他の人も成功したら、自分の取り分が少なくなる、と思ってしまいませんか?
そうでなくて、本を書いた人たちは富は宇宙に無尽蔵にある、と確信しているから本がかけるのです。
成功する人と成功しない人の差はそこです。

願ったことが実現しないのは、心の奥で自分に受け取ることを許していない、あるいは、実現を邪魔する思考や観念を持っているという宇宙からのメッセージなのです。


※1
私たちは世界中で自分を最も 大切に/特別に 思います。
自分のことを他の人よりも特別に大切だと思うから、懸命に幸福を「求める」のです。
自分はもっと幸福になってよい・もっとお金持ちになっても良いはずだ、と。

そんな期待を手放したらどうなるでしょう?
自分は平凡で平均的な人間だから、今の生活で充分、これ以上は望まない、と。
これは、諦めるのとは全く異なります。
「一瞬で幸せになる」著者の阿部敏郎氏の言い方からすれば「今の状態で100%幸せ」ということになります。
それなのに、今の幸せに目を向けずに、「もっとお金が手に入れば」「もっと良い仕事に就ければ」などと幸せに条件を作ってしまっているのです。

こう思ってみてはいかがでしょう?
「この世に偶然はなく、すべては完璧なタイミングで起こっている。今のままの自分で完璧。
お金がなくても、トラブルに巻き込まれても、失恋しても、失業中でも、完璧。何も変える必要なし!」

これで少しは気が楽になりませんか?
完璧なのですから何も変える必要はないのです。
何かを変えなければ、と思うから苦労するのです。
どんな出来事が起こっても完璧だ、と思えば肯定的に見ることができます。

「こんな悪い現実を完璧だと思えるか!」という声が聞こえてきそうです。
幼い子どもが道で転んだり、せっかく積んだ積み木を崩してもあなたは「良い/悪い」と判断しませんよね?
そのために泣いたら黙って抱きしめてあげられます。
宇宙の中の私たちも同じ。大宇宙に見守られ/抱きしめられている のではないでしょうか?

「良い出来事」「悪い出来事」というのはこの物質世界の二元性に過ぎません。
そんな”判断”は必要ないのです。
(「良い/悪い」という判断をしてしまうと、その出来事はそのとおりの結果を招いてくれます)
すべての出来事はあなたの波動に反応して「ただ起こって」います。
それを「良い/悪い」という視点で見るのと、完璧に自分の心が映し出されていると思うのとどちらが自分の幸福に役立ちますか?
宇宙の本質は二元性を超えた”ワンネス”(すべては一つ。すべてが自分)です。
出来事に「良/悪」「正/誤」を判断をするのと、「すべての出来事は完璧」だと感謝しながら受け取るのと、どちらが幸せでしょうか?

これが宇宙の法則です。
「今の状態で100%幸せだ」と思えれば、そういう現実が引き寄せられるのです。
未来に視点を向けて「幸せは未来にしかない」と思えば、「今が幸せ」という状態は永遠に来ない、ということです。
幸せを探しているとすれば、今・ここには幸せはない、と考えていることになります。
あるいは、未来に視点を当てて不安や心配を感じる場合もあります。
心配すれば心配する出来事から回避されるわけではありません。むしろそういう波動が心配事を引き寄せてしまう可能性が高くなる。
ですから「心配しても心配しなくても事は起こる」のだから、何が起きようと100%幸せと受け止めよう、と決心するのです。

悲しみや憎しみを拒否すれば、その裏返しである--どちらも感情の側面ですから--喜びや楽しみも拒否したことになります。
どんな感情が起こっても、判断せずに黙って受け止める。
「あるがままでOK」と、今の状態以上を求める自分を手放すのです。
(この場合、手放せるのは「エゴ」の部分だけであって、私たちの本質は宇宙そのものですから手放せません。
エゴを手放したら宇宙そのものになるのではないでしょうか?)

**が欠点で(文末※2参照)、平均的な・特にとりたてて優れたところもない、欠点だらけの自分。68億人の中の1人に過ぎないけれど生かされている。
生まれてから、自分の意思と関係なく、心臓は休みなく動き、死ぬまでずっと動き続ける。
こんな平凡な自分が今日まで宇宙から生かされている、と自然に100%幸せと感謝の気持ちが沸いてくるのです。
すると感謝する出来事が続きます。

とは言うものの・・・
自分に嘘をつかない、というより自分にはウソをつけません。
完璧だと思っていないのに完璧だ、という言葉をいくら発してもそういう波動にはなりません。
好きでもないのに「この仕事が好きだ」と自分を騙して我慢していると、体調が悪くなったり、仕事がうまくいかなくなったりします。

そういう場合には、上記の「完璧な状況」を「自分の豊かさや健康や人間関係にとって完璧」ではなく、自分の思考を映し出す鏡としての世界が完璧だ、とするといかがでしょう?

この宇宙は完璧に私たちの心を映し出してくれています。
あまり楽しくない出来事でも、「だから波動を変えるべきなのですよ」というシグナルとして受け取る。
心の持ち方をただ変えれば状況が変わる、というのは何と幸せなことでしょう。

※2
「**が欠点」という例を挙げましたが、そう思っているのはあなただけです。
「いや、昔、○▽さんに言われた」という覚えがある?
それを肯定するも否定するもあなた次第。
その言葉を受け入れてしまって、未だにそう思い込んでいるのは、他の人の価値観が自分に入るのを許してしまったからに他なりません。
そもそもそういう価値判断は幸福になるのに何ら必要ない、というのが今回述べているところです。

 

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