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2016年6月18日 (土)

BU/71 「唯識」という考え方

これまでの説明では幸福になるためにはどうしたら良いのか?という引き寄せの法則や成功哲学と
「この世界は幻想」という覚醒と混在していますが、それらはどう結びつくのでしょう。

こられはアプローチが全く異なるようにみえて実は一つの真実を語っているような気がします。

仏教に「唯識」という考え方があります。
唯識というのは完全な唯心論です。
この宇宙は心そのもの。
物質は存在しない。(物質という認識は存在する)

一人一宇宙。他の人の宇宙は違う、とします。
例えば公園にいる鳩をみて、かわいいと思う。
ある中国人は(鳩を食べますから)美味しそうと思う。
同じものを見ても全く異なるのです。

唯識の哲学は、この宇宙には唯(ただ)8識のみしか存在しない、とします。
すべての根源は阿頼耶識であり、そこから他の7識(末那識・意識と5感である眼識・耳識・鼻識・舌識・身識)が誕生する。
これらは繋がっており、すべては一つ。
一つだから、木を見て「木」と意識できる。
なぜなら「木」というのは意識の中に存在しているから、という考え方です。
意識を変えれば阿頼耶識にも届く。
身の回りが散らかっていれば、それは自分の意識が散らかっている、ということだから掃除をする。

つまり

○この世は幻想=「識」しか存在しない

○ワンネス=すべては一つ

○成功法則=阿頼耶識に種をまけば現実化する

○掃除をすると運がよくなる=周囲に見えるゴミは心の中にあるゴミだから

という、これまで述べた一見、矛盾するようなことが見事に繋がっていのです。
最近の量子論はこの考え方に非常に近づいているともいえます。

これが哲学であっても仮説でもあっても構いません。
ただ、このモデルを使えば、これまで説明してきたことが非常にうまく繋がる、ということです。

ある「覚醒の本」の著者からは「ザ・シークレット」はエゴの塊と批判されているようです。
たしかに、”エゴ”が悟りの邪魔をしている、という視点ではそうです。

ニール・ドナルド・ウォルシュは「神とひとつになること」の中で、「この世は幻想だけれど、幻想だからこそ、その中でしか体験できない二元性を意識し、最高のビジョンの最高のバージョンの自分を生きなさい」と書いています。
そうでなければこの幻想の世界が存在する意味はないから。
幻想の世界を創ったのは、二元性の中で最高を生きる喜びを知ることだから。

そして幻想の世界の中でしか「生きる」ことはできません。(本当は永遠の生命)

本当は無限に幸福なのに、幸福--不幸 というゲームに入ったのが私たちです。
いつでも止められます。
ところが、そういうことを覚えているとゲームが楽しめないので
ゲームであることそのものを忘れてしまう、ということも工夫してしまいました。

この世界は幻想であり、ゲームです。
悟っているから「悟っていない」状態のゲームに参加できるのです。

幻想ですからいくらでも変えられます。
(と、言っても、幻想から抜け出すのはできません。--それはあの世に戻ることだから)
ACIM・他に書いてありますように「過去も未来も存在しない。すべては同時に起こって完結している」

ヴァジム・ゼラントがリアリティ・トランサーフィンの中で書いているように
「すべての可能性はバリアント空間(高次の世界=唯識でいう阿頼耶識)に存在し、僕たちはその一つを選択しているだけなのです。

だから、辛いことや悲しいことがあったときに
「これは幻想だ」「無限の時間の中でのごくわずかな時間に幻想の世界で体験しているだけ」
という感覚は救いになるのではないでしょうか?

申し訳ありませんがネガティブな例から書きましょう。
明日、あなたは何らかの事故やトラブルに巻き込まれるかも知れません。
(あまりネガティブなことは多く書きたくないのでこれだけにしておきます)

さて、こういうネガティブなことは可能性としては現実的に考えるのに

○1億円拾うかも、あるいは突然の遺産相続の話があるかも
○芸能界から突然スカウトされるかも
○高額なものをプレゼントされるかも
○理想のソウルメイトが目の前に現れるかも

というポジティブな方はどうして現実の可能性としては低いのでしょうか?
ここに人生の成功へのヒントが隠されているような気がします。

人生乗り換え--パラレルワールドへの移行。心の持ち方で変えられるのではないでしょうか?

すべては同時に起きている。
「つまり過去も未来も幻想の中でしか存在しない。」とこれまで書いてきましたが
今回は文前段の「すべては」というところにも着目です。
時間に関係なく「すべて」が起きて、完結している、ということです。
良いことも悪いことも、同時に起きている。
出来事が一つに見えるのは波動をそこに合わせているからです。

ただの出来事を失敗とか成功とか善悪で決めつけないようにしましょう。

宝くじが当たる世界と当たらない世界が同時に存在しています。
どちらの世界に行きますか?

「唯識」の考え方も、奇跡のコースの教えもこの世界についての解釈は似ています。
この世が幻想だとすれば・・・

本当は何も起こっていないのかも知れません。
時間も存在しない世界に過去と未来をつくり出しているのです。
幻想の中に愛や幸福を探しても見つかりません。
私たちは絶対的な幸福と豊かさの世界の上に幻想を作り出しているようです。

幸福はいつでも「ここ」にあります。
出来事に幸福・不幸を感じることができるということは幸福は私たちの中にあるということ。
だったらどんな出来事もあるがままで最高、と受け止めることが可能です。
人を愛することができるということは、今の自分に愛があるということです。
ちょうど、映画を見て、ホラー映画なら恐怖を感じ、ラブロマンスなら楽しめるように。

幻想という言葉は正しくないかも知れません。
「イリュージョン」
「ミラー・ワールド」
そんな言葉もあります。
ともあれ、実在の世界ではありません。
実在でなく、自分で夢を見ているのだから、いつでも乗り換え可能です。

絶対性の基礎の上にしか二元性は築けません。
だとすれば、最初から私たちは二元性と同時に絶対性の世界にいるということになります。(コインの裏表)

「この幻想は私たち自身がつくり出した。”現実”はスクリーンである」とマスターたちが教えます。
例えば映画の1コマをとってみましょう。
そこにはたくさんの人物と背景が映し出されている写真のようなもの。
それが「ワンネス」であり、ひとつの映像です。
その中に自分が入り込んでいる、と思ってください。

物質のすべては最終的にはエネルギーですから、自分と周囲を隔てる壁はありません。
エネルギーの振動数の違いによって様々な物質が構成されているのみです。

この夢の世界にあるものはすべて自分と繋がっています。
やりたいことをできるし欲しいものを手に入れることができる。
限界をつくるのは自分のみです。

この世界は幻想だから私たちは幻想の中にはいないことになります。
つまりこの世界に生まれていないのです。
目の前に繰り広げられるのは自分のバイブレーションが生み出すイリュージョンで、
私たちはそれをこの物質的な五感を通して観察しているだけ。
気に入らなければ波動を変えれば良いのです。

毎瞬間ごとに幻想の映画を創造しています。
幻想の中では奇跡を起こしている、ともいえます。
だから「たった今」が創造の瞬間。
(これは量子論でも「観察者効果」として説明されています)

幸福は自分の中にあるのです。
外を探しても見つかりません。
外を探すということは、自分の中にあることを否定することになるからです。

幸福は未来にもありません。
それは「今・ここ」にあることを否定することになるからです。
「**が手には入れば、**できれば・・・」という条件をつけることも
今の幸福を否定することになります。

「今、ここ」であるがままで幸福。そこからスタートです。

現実の創造はどのように行われますか?
現実のスクリーンは私たちに反応します。私たちの思考の波動です。
「私の現実」は「私の思考」によって創造され続けます。
現実の創造が巧くいかないとき、私たちは失敗にしがみついているだけなのかも知れません。
失敗という可能性を手放したら?

3次元のスクリーン(嫌な映画)は手放して、他の映画に切り替えるだけで済むようです。
物質の世界では時間がかかりますが、阿頼耶識の部分では瞬時に変化が起こります。
それが現実化するまでポジティブな意識を末那識に送り続けるのです。

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